故ジョン・F・ケネディ元大統領の暗殺から満60年を迎えた。ことしは、実弟のロバート・F・ケネディ元司法長官の非業の死からも55年の節目にあたる。
時あたかも、大統領暗殺をめぐるオリバー・ストーン監督の新作が封切られ、ロバート氏の次男、ロバート・ケネディ・ジュニア(Jr)氏が次期大統領選で勝敗を左右しうる存在として注視されている。
かつて〝王朝〟といわれ、栄華をきわめたファミリーをめぐる動きは、意外にも米メディアなどで報道されることは少ない。米国民は静かな追悼の時を迎える。
謎に迫るオリバー・ストーン監督の新作映画
ジョン・F・ケネディ大統領(民主党)は1960年の選挙で接戦の末、共和党のリチャード・ニクソン氏(後大統領)を破り、翌61年1月、選挙で勝利した最高指導者としては米史上もっとも若い44歳で就任した。
在任中、黒人の差別解消のため公民権法制定を推進、あわや核戦争かと世界を震撼させたキューバ危機では、断固とした態度を貫き、キューバにソ連が配備した核ミサイルを撤去させた。 若くてハンサム、女優マリリン・モンローと浮名を流したことでも知られている。
63年11月22日、翌年の大統領選で再選を勝ち取るため遊説に訪れたテキサス州・ダラス市内で、走行中のオープンカーから市民に手を振っているところ、近くのビルから銃撃された。頭部などに命中、ほぼ即死だった。
容疑者として、発砲された教科書倉庫ビルで働いていたリー・ハーべィ・オズワルド(当時24歳)が逮捕されたが、2日後、ダラス市警の中を移動中、地元のナイトクラブ経営の男に撃たれて死亡した。
容疑者の取り調べが不可能になったことから暗殺事件の捜査は暗礁に乗り上げたが、ケネディ氏の後任として副大統領から昇格したリンドン・ジョンソン氏が、ウォーレン最高裁長官(当時)をトップとする委員会を設置、真相解明を命じた。
ウォーレン委員会は翌年、オズワルドの単独犯行と結論づける報告書を提出した。しかし、オズワルドがひとりであのような大きな犯罪を行うことができたのか、大統領は後頭部を撃たれているが、前からも撃たれたという目撃証言がある、米中央情報局(CIA)、マフィアなどが関与していたのではないか――など、いまなお議論が喧しい。
こうした疑問に迫ったのがハリウッドの巨匠、オリバー・ストーン監督だ。
11月17日に日本で封切られたドキュメンタリー映画「JFK/新証言 知られざる陰謀」は、公表された関係者の膨大な証言記録を精査し、ウォーレン委員会のメンバー、大統領に同乗していたテキサス州のコナリー知事(当時)、同行していた政府関係者、警備にあたっていたシークレット・サービス(大統領警護隊)の警護官、治療、検視に当たった医師ら多くの人へのインタビューのビデオなどから、こうした謎に肉薄している。