中年以上の人の中には、いまなおケネディ家に対して、追慕と憧憬を抱く人が少なくない。それほど多くの人々から愛されることへの疑問もあろうが、「日本や英国のように皇室や王室が存在しない米国において、ケネディ一家はそれに代わる存在として敬愛されているのだ」(コロンビア大学、エスター・フックス教授)という説明が疑問にこたえてくれる。
風化させることなく「遺産」に思いを致すとき
ケネディ大統領死去から60年を追悼する大きなセレモニーは予定がない。わずかに11月8日、大統領が創設した陸軍の特殊部隊「グリーンベレー」による献花式が大統領の眠るアーリントン国立墓地で行われた程度だ。各メディアは21日の直前になって地味に報じている。
60年という節目にもかかわらず風化しつつあるのは、それを知らない若い世代が圧倒的に増えたことが大きな原因だろう。加えていま、米国におけるニュースは、イスラエルとハマスの衝突、ウクライナ問題、米中関係、連邦政府の予算問題などが各紙の紙面、テレビニュースの中心になっている。
老境に入った人たちの間では、いまでもしばしば 「あの日、君はどこで何をしていた」と話題になるあの悲劇も、時の流れの中ですでに、歴史の範疇に入りつつある。
そんな中、ケネディ大統領の遺産から学ぶべきは何か。
故大統領の功績のうち、最も大きいのはキューバへの旧ソ連によるミサイル配備を阻止して核戦争を防いだこと、人種差別解消のための公民権法推進などだろう。
キューバ危機について、50周年の2013年、事件当時の米国防長官だったロバート・マクナマラ氏が産経新聞のインタビューに応えた。「大統領は〝戦争の危機を冒さずにミサイルを撤去させる。アメリカの安全、世界平和のために、妥協はしない〟との強い決意を示して解決の陣頭にたった」と回想した。
今の米国は超大国の地位を失いつつある。国内では格差による分断が広がっている。ウクライナ問題、中東問題への米国の対応は毅然さを欠いているように見える。「米国は介入しない」というバイデン大統領の発言が、ロシアのウクライナ侵攻の引き金になったとも言われる。世界平和への関与はケネディ政権に比べ脆弱というほかはない。
来年の大統領選で、トランプ氏が返り咲くかもしれない。性差別、人種差別といわれてもやむを得ない言動を弄する人物が大統領になれば、たった一人の黒人学生を守るために軍を出動させたケネディ氏の差別解消への毅然さなど望むべくもない。
いまこそ「ケネディの遺産」に思いを致すときだろう。