田部康喜のTV読本

2020年5月14日

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田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

(ロイター/アフロ)

 NHKスペシャル未解決事件シリーズは、File.8(4月29日、5月2日連続放送)に至って初となる海外事例のジョン・F・ケネディ(JFK)暗殺の真相に迫った。容疑者として逮捕され、その直後に射殺された、リー・ハーヴェイ・オズワルドの人生を追うことによって、圧巻の真実の数々が明らかになる。

 「I’m just patsy!」(俺は はめられたんだ!)

 オズワルドが死の直前に絶叫した、言葉の意味を取材班は解きほぐしていく。今回の調査は、全米のジャーナリストや医師、CIA(中央情報局)関係者らさまざまな分野の人々66人の協力を仰いでいる。こうした人々の証言と、再現ドラマから番組は構成されている。

 「オズワルドがJFKの殺害に巻き込まれたのは、日本がすべての起源だ」と、作家のディック・ラッセルは語る。

 貧困のなかで、幼少年時代を過ごした、オズワルドは母親が幾度も再婚したために、転居を繰り返した。15歳で出会ったのがマルクスであり、「共産党宣言」も読んでいた。

 17歳だった、1957年から2年間にわたって、日本の厚木基地で海兵隊に勤務した。任務は、当時の最新鋭の偵察機U2のレーダー担当だった。

 オズワルドに偶然を装って接触してきたのが、ロバート・ノーランを名乗る男だった。

 ラッセルは、生前のノーランにインタビューをしていて、そのメモが残っている。それによると、ノーランはCIAと契約し、その工作にかかわっていた。

 ノーランとオズワルドが二人でよく訪れたのが、東京・銀座の「クインビー」だった。このナイトクラブは、米軍の将校向けの高級クラブで、ホステスたちはソ連の諜報機関である、KGBの手先であることは、米側の周知の事実だった。

 オズワルドは、ホステスの横浜のMidorii(みどり)と愛人関係になる。オズワルドの役割は、U2のレーダー係という重要な任務から、偽の情報をホステスに与えて、KGBに流すことにあったのではないか、とラッセルは推定している。

 CIAの工作員のノーランによるものか、あるいはMidoriiによるものかは不明だが、オズワルドは海兵隊を除隊して、ソ連への亡命を企てる。1959年10月31日、在モスクワ米大使館にかけこんだ、オズワルドは米国の市民権の放棄を訴える。

 研究者のジョン・ニューマンは、オズワルドはCIAなどの政府機関にソ連が送り込んだ「モグラ狩り」のために利用されたのではないか、と考えている。

 オズワルドに関する情報は、在モスクワ米大使館から国務省を通じて、CIAに送られた。その情報が、CIAのソ連部ではなく、「CI」(カウンター・インテリジェント)部門に集約されたことに、ニューマンは注目する。モグラが情報を求めて、CIAのなかを動き回れば、その人物を特定できる。

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