昨今の米中対立、あるいは西側諸国による対中デリスキングの本質は、中国が「平和共存五原則」の名においてあらゆる批判を拒み、強権や軍拡に訴える事実をも「中国の国情・選択として尊重せよ」と迫る中、そのような中国との関係から生じる利益をめぐる道義的な拒否感情が強まったことにある。六四事件の直後におけるスコウクロフト氏の見立て・懸念は改めて、より根深いかたちで現実化した。
負の業績を繰り返さないために
こうして米国は約半世紀をかけて、キッシンジャー秘密外交の負の遺産=中国の「平和共存五原則」に暗黙のうちに従属する状況から脱しつつある。去る11月の米中首脳会談でも、米国は話し合いの維持による危機管理の必要性を掲げこそすれ、中国側の期待ほどには関係改善に応じなかった。
そして中国も、表向きは経済の苦境により、キッシンジャー氏の死に仮託して対米関係改善・対外開放維持拡大を呼びかけるものの、国内に向けてはますます「外部勢力」を警戒し「中国の道」を信じよといった統制を強化し、対外的にも「中国を偏見ではなく正面から直視し肯定せよ」などと喧伝している。
今月に入り、中国は世界人権宣言75周年を記念したシンポジウムを開催したが、その際に王毅外相が改めて強調したのは相変わらず、「発展」を中心とする中国独自の「人権」概念であった。
王毅氏は例えば、人権の実践は多様であり、世界には絶対的な人権発展モデルは存在しないことから、各国人民には自国の実情に合致した人権発展の道を模索する権利があり、文明の多様性を尊重して交流し互いに鑑とせよと説く(中国外交部「王毅就実現人人充分享有人権提出四点建議」)。しかし、互いに鑑とするのであれば、何故中国は相互の建設的な批判を認めないのか。
つまるところ中国は「平和共存五原則」を盾として、「多様性を尊重して交流し、互いに鑑とする」ことには興味も関心もなく、単に「社会の安定を断固堅持して発展を実現した中国の人権モデルを誰もが認めよ」と主張するに過ぎない。しかも最近の中国は、「疫病問題以来混迷・衰退した」米国や西側諸国の体制や人権状況を糾弾し、「五原則」の「相互尊重」を自ら雲散霧消させた。
キッシンジャー氏最大の負の業績は、このように「平和共存」を盾にして自己中心性を強める超大国を作り、強権や威圧を蔓延させたことにある。その轍を踏まないためには、米国自身も自らの外交が各地で引き起こした人権にからむ問題を猛省する必要があるし、日本や諸外国の政府や人々も、混迷した世界を前にして、より公正で開かれた国際秩序の再構築に向けたすり合わせを、出来るところから広げる地道な作業を続ける以外にない。