2024年12月20日(金)

教養としての中東情勢

2024年1月23日

首都制圧、イランから弾道ミサイル

 フーシ派は「アラブの春」でサレハ政権が崩壊し、ハディ新政権が発足した同国の混乱に乗じ、政権への参画や自治権の拡大などの要求を突き付けた。その一方で首都サヌアに向け戦闘員が進撃。15年、政府軍を掃討し、首都を制圧、実権を掌握した。

 ハディ氏はサウジに逃亡し、暫定政府を樹立した。サウジの実力者ムハンマド皇太子はイランがフーシ派を支援しているとして「アラブ連合軍」を結成、イエメンへの軍事介入に踏み切った。

 フーシ派は連合軍の空爆に対抗するため、イランとの軍事関係を一段と強化、テヘランとサヌアを結ぶ空の直行便も開通させた。イエメン戦争はサウジとイランの〝代理戦争〟だった。

 フーシ派の軍事訓練は主に、イランが育成したヒズボラの顧問団が担ったが、イランの革命防衛隊も関与したとされる。フーシ派は現在、弾道ミサイルやドローンなど3000発以上を保有する軍事力を持つに至った。

 長距離ミサイルはイスラエルまで届く性能があるという。戦闘員は数万人。仕事のないイエメンでは数少ない就職先だ。

 イスラエルからの情報などによると、フーシ派を援助したのはイランだけではなかった。サウジが牛耳るペルシャ湾岸協力会議(GCC)のメンバーであるカタールも財政的に支援した。これがサウジやアラブ首長国連邦(UAE)によるカタール制裁の大きな要因になったという。アラブ世界特有の複雑な構図だ。

泥沼に持ち込む強靭さ

 サウジは米国のトランプ前政権で兵器供与を増やし、フーシ派を徹底的に空爆した。この攻撃や戦争による飢餓などでイエメンでは数十万人が死亡したといわれる。しかし、フーシ派は強靭なしぶとさを発揮し、サウジの攻撃を耐えた。そればかりか、19年にはサウジの石油施設を、翌年には首都・リヤドの国際空港などを弾道ミサイルやドローンで攻撃した。

 この石油施設の攻撃で一時的に、サウジの石油生産の半分がストップし、世界の石油市場を驚がくさせた。フーシ派はこの衝撃が収まらない22年、今度はUAEのアブダビをドローン攻撃、アブダビ国際空港でも小規模な火災が発生した。

 サウジが目論んだフーシ派壊滅は失敗した。泥沼に持ち込んだフーシ派が大国サウジに大きな譲歩をさせたと言えるだろう。

 このためサウジの経済発展計画に支障が出るとの危機感を深めたムハンマド皇太子はフーシ派との停戦、和平の道に転換せざるを得なかった。昨年9月にはフーシ派の代表団がサウジを訪問するなど交渉は大詰めを迎えている。

 だが、フーシ派がサウジとの和平を樹立してもイエメンは分裂したままだ。なぜなら南部のアデンにはサウジの支援するハディ暫定政権や「南部暫定評議会」という勢力が存在しているからだ。内戦状態がなお続くということだ。


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