2024年12月19日(木)

教養としての中東情勢

2024年1月23日

 スエズ運河に通じる紅海を舞台にした米軍とイエメンの親イラン武装組織フーシ派との軍事的緊張が極度に高まってきた。米軍は1月19日までに、船舶攻撃を繰り返すフーシ派の拠点に対し、1週間で6回目の攻撃を敢行した。だが、同派の指導者アブドルマリク・フーシ氏は「脅しには屈しない」とあくまでも対決の構えだ。フーシ派とは何者なのか。

イエメンで、米英によるフーシ派への空爆を非難する集会を行うフーシ派の支持者たち(ロイター/アフロ)

元々は山の民

 フーシ派が何のために船舶攻撃を繰り返すのか、実のところ真意はあまり明確ではない。公式にはイスラエルと交戦中のパレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスへの「連帯と支持」を示すためという理由だが、10年近くも戦争を続けてきた隣国サウジアラビアとの和平交渉がヤマ場を迎えている今、あえて「反米、反イスラエル」の行動に出ていることの理由が今一つ判然としない。

 最も取り沙汰されている理由は「兵器支援を受けるイランからの求めに応じている」というものだが、それだけでは動機としては弱い。むしろ「最貧国イエメンの支配者として、世界にその存在感を誇示するチャンス。ガザ戦争を利用して名を売ろうとしている」(ベイルート筋)というのがピタリとくる。イランやイランの作ったレバノンのシーア派組織ヒズボラほど宗教的でもない。

 フーシ派は元々、イエメン北部の山岳地帯を根城にしていた「山の民」だった。シーア派の一派であるザイド派に属し、第1次世界大戦でオスマントルコが崩壊した後、ザイド派の神聖帝国を築き、その後はアラブナショナリズム運動の影響を受けた。南北の内戦が続いていたイエメンは1990年、サレハ大統領が統一、支配を固めた。

 サウジはサレハ政権を支持したが、フーシ派は反政府のスタンスを取った。2003年の米軍のイラク侵攻に強く反発し、反米を掲げて過激化していった。

 そうした中、アラブの民衆が独裁政権を次々に打倒していった「アラブの春」が起き、イエメンもその波に飲み込まれた。混乱の中、フーシ派はシーア派の盟主であるイランから武器供与を受けるようになった。


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