ここから一気に進むかに見えた開発だが、根本的な設計のやり直しという事態が待っていた。本体に内蔵する2次電池(バッテリー)の変更である。装着したまま就寝するケースも出るので、当初のタイプを見直し、安定性という点では極めて信頼度の高いニッケル水素バッテリーを使うことにしたのだ。「安全確保にはこれでもかと対策を尽くした」(北岡)ものの、発売時期は3度も見直すことに。
となると、社内には商品化を疑問視する声も出る。一時は開発継続に危機的な時期もあった。北岡は「今日は疲れたけど、明日は目もとスッキリで頑張ろうと、私自身が使いたい製品だった」という。苦しい時は「設計の人たちがモチベーションを失わないように、生意気ですが励まし続けたんですよ」と笑って振り返った。そのねばり腰が、本人の想定を超える支持を獲得した。半端ない頑張りは結果を呼ぶパワーとなる。(敬称略)
(写真・井上智幸)
■メイキング オブ ヒットメーカー 北岡慶子(きたおか・けいこ)さん
パナソニック 商品企画グループ参事
1975年生まれ
アルゼンチンはブエノスアイレス生まれ。幼稚園は現地校に通った。サッカーが盛んなお国柄で、よくサッカーを観たり、プレーしたりした。親の転勤に伴い小学2年時に静岡県富士市へ引っ越したが、同じくサッカーが盛んな土地柄で、放課後は変わらずサッカーを楽しんだ。小学5年時に千葉県習志野市へ引っ越す。
1987年(12歳)
渋谷教育学園幕張中学に進学。中学・高校ともテニス部に所属。長期休みの間はニュージーランドでホームステイや、父親の駐在するカナダに滞在するなど、海外への興味をもち続けた。
1993年(18歳)
早稲田大学人間科学部に進学。心理学や環境学に特に興味をもった。当初はジャーナリスト志望であったが、就職活動では、海外駐在できる会社を第一に考えた。
1998年(23歳)
松下電器産業(現パナソニック)へ入社。携帯電話部門に配属となり、海外営業を主に担当した。2006年、社内公募制度を利用して、松下電工のビューティ・ライフ事業部へ異動。海外向け商品の企画担当となり、脱毛器などを手掛けた。08年からフェイシャル部門も兼務し、「ナノケアスチーマー」、「デイモイスチャー」などを企画した。今後は「お客様のかゆいところに手が届く商品を生み出したい」。また、「幼少期の習性が抜けず、お酒が入るとお調子者のラテン系になる」一面も。
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