さらにヴォルフは「ロメオ作戦」と呼ばれた、男性工作員による風変わりなハニートラップも実行している。当時の西ドイツでは女性の社会進出が盛んであり、ヴォルフが目を付けたのは、独身のキャリアウーマン、特に情報機関の女性幹部や政治家の秘書で、そこに長身で顔立ちの良い「ロメオ」と呼ばれる男性を送り込んでロマンスに持ち込んだ。
ロメオの多くは、西ドイツの公務員という肩書で、偽造の身分証を携帯しており、同時に複数の女性と付き合うこともあったという。最もうまくいった工作は、西ドイツの対外情報機関(BND)のソ連分析部副部長、ガブリエレ・ガストを籠絡したものだ。HVAのロメオが13年にわたってガストと付き合うことで、BNDの機密情報が東ドイツに筒抜けとなった。その間、HVA長官であるヴォルフ自身もガストと6回も面会し、ロメオとともに個人的な関係を確立することに尽力し、ロメオと3人で旅行もしたという。ヴォルフのガストへの期待がうかがえるエピソードである。
当時HVAが一番のターゲットにしていたのは女性秘書であり、西ドイツの首都ボンでは約30%の女性秘書が独身というHVAの調査まで残っている。冷戦期に西ドイツの防諜機関や警察が摘発したこの種の女性スパイの数は、58人にも上ったという。
激化する米ソ間の衝突
外交関係は機能せず
ヴォルフのスパイで、ギヨームに匹敵するのが「トパーズ」こと、レイナー・ルップであった。西ドイツ出身のルップは学生運動に傾倒しており、それに目をつけたのがHVAであった。HVAはルップにベルギーのブリュッセル大学で学ぶよう指示し、そのまま北大西洋条約機構(NATO)に分析員として潜り込ませることに成功する。こうしてルップはNATO本部の機密を12年間にわたってHVAに流し続けた。彼の秘書で英国出身の妻も、ルップがスパイであることを知っており、その活動を手伝っていたようである。ただしルップがHVAのために働いたのは、第三次世界大戦を防ぐという大義名分のためであり、これが83年に実際に試されることになる。
83年はキューバ危機以来、米ソ関係が極度に悪化した年であった。この年の3月に米国のレーガン大統領は、ソ連を「悪の帝国」と形容して、対決姿勢を隠さなかった。これを受けてソ連側の緊張は高まっており、同年9月1日にソ連軍機が大韓航空機を撃墜する事件が起こっている。さらに同月26日にはソ連軍の早期警戒衛星のレーダーが、米国からソ連に発射されたミサイルの痕跡をとらえたのである。これは現場でシステムの誤作動と判断されたが、一歩間違えればソ連側も核ミサイルを撃ち返すところであった。