11月に入ると、NATOは対ソ軍事演習となる「エイブル・アーチャー83」を実施するが、これはソ連側には西側による戦争準備と映った。西側の軍事演習は定期的なものであったが、既にソ連は欧米諸国を信頼しておらず、外交関係も機能していなかったのである。ソ連国家保安委員会(KGB)は西側が核戦争の準備を進めているという前提で、欧州各支部に情報収集を命じていた。
ルップの潜伏と密告が
世界を救うカギに
当時、英国秘密情報部(MI6)は、KGBのスパイ、オレグ・ゴルディエフスキーを味方につけており、そこからソ連首脳部が核戦争を意識しているという情報を得ていた。このゴルディエフスキーの情報によって、西側は状況が相当切迫していることを悟り、英国のサッチャー首相は、緊張緩和を意識するようになる。
そして危機を打開するきっかけとなったのが、NATOに潜伏していたルップの存在であった。ヴォルフはルップに西側の真意を調べるように指示を下しており、ルップからはNATOでは対ソ戦を準備している兆候はない、という情報が寄せられた。この情報が東側を安堵させたと考えられる。こうして83年の核戦争の危機は回避され、その後、米ソは緊張緩和に向かい、最終的には冷戦が終結することになる。
冷戦後、ルップはスパイ容疑で逮捕され、禁錮12年の有罪判決を受けたが、世界を救った英雄として、6年後には釈放されている。一方のヴォルフも冷戦後に有罪判決を受けているが、95年には取り消され無罪となった。旧東ドイツで監視社会を作り上げた秘密警察シュタージの評判はすこぶる悪いが、ヴォルフは別格のようで、旧東ドイツやロシアでは英雄視されているという。