2024年11月21日(木)

都市vs地方 

2024年4月4日

ニューヨーク市経済は「移民のおかげ」

 ニューヨーク市都市計画局に30年以上勤務し局の幹部であるエンゲル・フォン・ウィンストン氏は、「ニューヨークにやってくる移民や亡命希望者は、100年以上前の移民と何ら変わらないと私は信じている。彼らはいずれも就業年齢階層であり、働いて経済的成功を収めるために米国に来た。ニューヨーク市の経済が好調に発展してきたのは、ここに来て働く移民のおかげであり、今私たちのところにやって来る移民たちも、これまでの移民と同じように、時間の経過とともに市の経済に利益をもたらすと私は信じている」と話す。彼の両親はオーストリアからの移民である。

 ニューヨークにはこういう考え方の人が多い。元ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグ氏も市長時代、当時の大統領がアメリカへの移民を制限しようとしたとき、「ニューヨークは移民で成り立っている」と主張してニューヨーク市役所に移民局を設置。局長にドミニカからの移民を任命し、移民に対するサービスを強化した。

 ブルームバーグ氏は市長時代、311ダイヤル相談サービスを開始し、数十の言語に対応して市民の生活相談に対応するシステムをつくった。このシステムは今日でも機能している。彼の両親はポーランドからの移民である。

 1990年代、ニューヨークのマンハッタン北部のハーレムといえば荒れて危険な街の代名詞だった。目抜き通りの125丁目通りにあるアポロシアターで、若手アーティストの登竜門と言われたアマチュアナイトなどの演奏を楽しんでも、終わったら人波と一緒に一目散に地下鉄でミッドタウンに戻らないと危ないと注意された時代があった。

 マンションのオーナーが治安の悪さに絶望して自ら火を放ち、保険金を得て権利を放棄していた。焼け焦げたアバンダントハウス(放棄住宅)がハーレムのあちこちに見られたものである。

かつてニューヨークのハーレムで放棄されたマンション。治安を悪化させていた

 そのハーレムが回復したのは、2000年頃からのニューヨーク経済の好調だった。仕事に就くことができた人々がハーレムにも住みつき、買い物をするので店が復活し、その店が人を雇うという好循環が発生した。今では中堅所得層を対象とするホールフーズマーケットも125丁目通りに店を出すなど繁華街が回復している。

現在のニューヨーク・ハーレムの目抜き通りには、お洒落な飲食店も開いている

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