旧陸上海憲兵隊の幹部が率いた「柿の木坂機関」の真木一英氏は「下山事件の核心はつかんでいる。日本と米国が戦争にならない限り口が裂けてもいえない」。
布施検事が右翼の活動家でフィクサーと呼ばれる児玉誉士夫氏を訪れると、「いい話をしよう」という。「米国はソ連や中国との戦争を考えていた。兵員と物資の輸送に国鉄を軍事利用する話に下村は拒否した。国鉄を軍事利用から守った」。「美しすぎます」と、布施検事はいとまごいをする。
取材班が掘り起こしたインタビュー映像
第2部のドキュメンタリーは、米国国立文書館や内外の関係者やその親族によるメモと証言によって、「下山事件」の真相をあぶりだす。前述の「他殺説」とそれにからむ国際情勢である。
まず、事件の解明を複雑にしている「他殺説」と「自殺説」の関係である。これまでの事件の解明にメスを入れた著作の数々の常識を覆す。
ふたつの説は、別々の勢力によってなされたのではないか、つまり反共政策をとる米国が「他殺」をしかけ、日本を反共に向かわせる。その一方で、再軍備などをもくろむ旧軍の一部は「他殺」とされては、国民が戦前の軍国主義国家を連想するので避けたい。そこで、事件現場を徘徊するようにして、目撃者を作ったのではなかったか。反共と軍備化が合体したのである。
検察は米軍にも疑いの目を注いでいた。その中心人物は、GHQの参謀第2部(G2)のビクター・マツイとにらんだ。ただ、GHQの諜報部員たちは本国に帰国すると、その消息を追うのは検察もジャーナリストも困難だった。
米議会図書館にビクター・マツイの映像のインタビューが所蔵されていたことを取材班は掘り起こした。マツイの証言を聴こう。
「私は繰り返し国鉄のストライキ、妨害活動を探るように命じられていました。国鉄総裁は下山という名前だった。私たちの機関は24人ほどの二重スパイを協力者として使っていました。すべてソビエトに対して、有利な状況を作り出すことが目的でした」
「私が所属していたのは、ジャック・Y・キャノン少佐が率いるZ機関でした。当時、日本の戦争捕虜の多くがソビエトに拘束され、ソビエトのために働くスパイとして訓練を受けていました。Z機関は米国の安全保障の重要情報を得るために彼らを二重スパイとして活動させることにしたのです」
キャノンが1977年の「NHK特集」のインタビューに答えて、「下山事件」については知らない、と答えている。その直後に起きた列車が暴走して死者が出た「三鷹事件」については、「当時聞いたかもしれないが、私には関係ない」と。線路が外されて列車が転覆した「松川事件」についても、知らないと。
ところが、米国立公文書館において、キャノンと先のマツイ、謎の男として事件を混乱に陥れる結果を引き起こした李が3人ともそれぞれ知り合いだった文書を取材班は発見した。しかも、この報告書はキャノンによるものだった。
「下山事件」の1年ほど前に、李は神奈川CICに雇われた。キャノンは記している。「李は『ソビエト・クーリエ(諜報員)』の組織のリーダーだと名乗り、CICの支援をしたいと申し出た」