脇道にそれるが、矢田記者は早稲田大学時代に陸上選手として、ベルリン五輪の走り高跳びで5位に入賞している。メダル争いとなったので、五輪の記録映画「民族の祭典」にも登場している。
「未解決事件 File.10下山事件」の成果は、第1に「他殺説」か「自殺説」か、長らく論議されてきた論点にほぼ「他殺説」が正しいことを内外の資料で明らかにした点にある。第2に作家やジャーナリストが積み重ねてきたGHQによる謀略説を同様にほぼはっきりとさせた点にある。真犯人にはたどり着けなかったが「時の壁」と犯罪捜査を超えた世界情勢を考えあわせれば、取材チームに対する敬意はいささかも揺るがない。
真相を知る“ある男”
下山事件の謎の中核である上記のふたつのうち、後者つまり謀略説から見ていこう。それは「謎の男」の登場によって始まる。事件翌年夏に東京地検に小倉刑務所に詐欺罪よって収監中の李中煥(ドラマでは玉置玲央)から、下山事件の真相を明らかにしたいという手紙が届く。
布施検事の取り調べに対して、李は対日理事会のソビエト代表であるデレビヤンコ中将のもとで暗号の組み立てと解読の仕事をするなかで、下山事件の真相を知ったというのである。
李は下山総裁に対して「共産党の動向を教える」と伝えて、三越本店に呼び寄せたという。そして仲間がソ連大使館に連れ込んで、右腕から注射針で血液を抜いたと。これは、東大の古畑教授の研究室の死体検案書と一致していた。
朝日新聞の矢田が、布施検事が李の聴取したことを報じると、米陸軍対敵諜報部(CIC)に勤務していたという男が出頭してきた。「李の捜査は打ち切って欲しい。われわれもうそばかりに振り回されてきた」。
情報屋の男も李についてこういう。「李のいっていることは嘘だ。米国のでっち上げ。二重スパイだ」
下山総裁の死から1年。布施検事は上司から捜査の中止を命じられる。「GHQの指示でここまでだ」と。
事件から10年後の1959年、松本清張が週刊文春にルポを発表する。下山の死に米軍がかかわっている疑惑を明らかにした。
朝日新聞の矢田は詳細なデータに驚く。清張のルポを支えたのは読売新聞の鑓水徹記者だった。矢田と鑓水両記者の情報交換が始まる。
「口が裂けても言えない」
下山総裁を三越本店から連れ去ったのは、東京神奈川CICのアーサー・フジナミ将校である。誘い出したのは、下山総裁が使っていた情報屋の元関東軍情報参謀の塩谷好太郎と推測された。
米国陸軍少佐・ジャック・Yキャノンが率いる特務機関である通称・キャノン機関(Z機関)が裏で動いていた。反共活動が基本だった。戦地から戦後引き上げてきた元軍事人や中野学校出身者が、就職に困ってこの機関を頼った。
今回発見された検察の捜査資料のなかでは、キャノン機関はタブーだった。実業家の矢板玄氏は「米ソがいま対立しているいま、キャノン機関についてはしゃべりたくない。米国に不利になることは話したくない」。