2024年11月22日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2024年4月21日

インドの大規模介入と中国の超長期的な深謀遠慮

 インドは内戦を収拾するためシンハラ人のスリランカ政府に圧力を加えるべく1987年に武装勢力(LTTE)に物資支援を強行。一時停戦が成立するが、その後も戦闘は収まらず1988年にインドは5万5000人の平和維持軍を派遣。休戦協定が成立してインド軍が撤退すると今度はシンハラ人武装勢力がテロ活動を活発化。LTTEも1991年にインドのラジブ元首相、1993年にはスリランカ大統領を暗殺。その後もLTTEのテロが頻発して治安は悪化。

 最後は中国とパキスタンの全面的支援を受けたマヒンダ・ラージャパクサ大統領が一気にLTTE殲滅作戦を断行。2009年に34年間の内戦は終結。このラージャパクサ大統領とその一族による長期政権の間にスリランカは中国による一帯一路構想の大規模プロジェクトを継続した結果“中国の債務の罠”に陥った。

公共バスのフロントガラスの上部では仏様、ガネーシャ様、シバ神様、キリ スト様が仲良く共存。イスラム教の文様は運転席の後ろのガラスに貼られていた

スリランカで見聞した印象は“共存共栄社会”

 内戦終結から14年後に筆者はスリランカを旅行したことになるが、1カ月半の間に民族や宗教の対立を見聞することがなかった。あるいはタミル人独立派の拠点となったスリランカの北東部を歩いてないので対立や摩擦の事例を見聞しなかったのだろうか。

 比較的北部に位置するアヌラダープラのゲストハウスのシンハラ人仏教徒の青年は内戦期におけるインド軍の干渉を理由にインドへの警戒感を露わにしていた。他方で青年は内戦中も北東部を除いてはシンハラ人とタミル人は普通に共存していたと述懐。そして青年は現在も共存関係に変化はないと明言した。

義務教育ではシンハラ語とタミル語の両方を学習する

 国際派知識人青年F氏は仏教徒のシンハラ人。彼はカナダでホテルのマネージャーをしておりカナダの永住権を申請中だった。F氏は英国時代創設のキリスト教系名門校セント・アンソニー・カレッジ出身。同学年の首席で生徒会長をしていたのはヒンズー教徒タミル人生徒だったという。キリスト教私立学校であるが仏教徒、回教徒、ヒンズー教徒、キリスト教徒と全ての宗教の生徒が完全に平等に学んでいたと振り返った。

 F氏によると現在スリランカでは法律によりシンハラ人はタミル語を、タミル人はシンハラ語を学習することが定められているという。ちなみにカナダでは首相に就任するには英語フランス語の両方を話せることが資格条件となっているよし。


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