スリランカで最も人気のスポーツは“クリケット”
スリランカのスポーツではクリケットが断トツ人気である。インド、パキスタン、オーストラリアなど旧大英帝国領の国々(Commonwealth of Nations)ではクリケットは、お馴染みのスポーツである。スリランカでもクリケットのバットを持って歩いている少年を頻繁に見かける。
2023年11月はクリケット・ワールドカップが開催されていた。スリランカのテレビでは連日全ての試合が放送されており、カフェやバーなどは熱狂的なファンがテレビにかじりついていた。ちなみに決勝戦はインド対オーストラリアだった。スリランカ人は熱心にオーストラリアを応援していた。人種的・地理的に近いインドではなく白人選手中心のオーストラリアをなぜ応援するのか不思議に思えた。何人かに聞いたが、スリランカ人は心情的にインド人を嫌っているからだという。大国インドに経済的に支配されるのを警戒しているようだ。
人口12万人の高原都市キャンディーには植民地時代から続く二つのクリケット・クラブがあった。また学校には整備されたクリケット・グランドがある。英国植民地時代に創設された名門私立校トリニティー・カレッジ(13年制の男子小中高一貫校)には通常使用するグランドの他に国際公式クリケット・グランドがあった。
1877年創設のザ・キャンディー・クラブ
11月29日。キャンディー湖畔の高台に由緒ありそうな建物があった。『ザ・キャンディー・クラブ1877創設』と小さな看板が門の横に掲げられていた。英国式紳士クラブなのだ。事務所で話を聞いていると支配人が館内を案内してくれた。
独立前は英国人と一部オランダ人のみが会員だったが、独立後は地元名士の社交場となっている。こんな立派なクラブが100人超の会員だけで運営されていることに驚いた。6年前に訪れた元英国領のボルネオ島のコタキナバルのクラブも同様にメンバー資格を得るには事前の資格審査や会員の推薦などハードルが高かったことを思い出した。
ザ・キャンディー・クラブの建物は創設時のオリジナルであり、内装・調度品も当時のまま。メインダイニング・ルーム、バー、ビリヤード室、カード・ルームなど歴史を感じさせる落ち着いた装飾とインテリア。エリザベス女王とチャールズ三世の肖像が掲げられ、往時のセピア色の写真には狩猟の後で獲物と一緒に写っている乗馬姿の会員があった。
1872年創立名門私立校トリニティー・カレッジ
11月30日。キャンディー中心街から歩いて15分のトリニティー・カレッジを訪問。残念ながら当日午後一杯は週1回の校長以下教員会議で校長先生との面談は叶わなかった。同校はスリランカでも有数の名門校であり英国国教会により1872年に設立された。広大なキャンパスの雰囲気は英国の名門寄宿学校であるハロー校やラグビー校を彷彿とさせる。
最も印象的なのが下校時に正門付近を歩いていた6~7人の高校生と思われる長身の上級生のグループだった。全員制服の真っ白いズボンに校章の入った半袖ワイシャツを着用し黒い革靴を履いている。アイロンのかかったズボン、糊のきいたワイシャツ、ピカピカの革靴。フツウの公立高校の男子生徒のヨレヨレの服装とは雲泥の違いだ。まるで名門ゴルフ場でプレイの合間に談笑しながら歩いている英国紳士のように背筋を伸ばしてゆったりと闊歩していた。
ちょうど正門を入ってきた中年婦人に出会うと丁重に挨拶を交わした。婦人は同校の元教師であったらしく婦人を囲んで和やかに談笑を始めた。婦人に対してなんとも優雅に応対している。放浪ジジイは彼らの明るく溌剌とした非の打ちどころのない少年紳士ぶりに感服した。
将来国家・社会のリーダーとなるべき人材を育むエリート教育とはかくあるべきなのだろう。このトリニティー・カレッジの男子生徒を見て英国の伝統的エリート教育が現代のスリランカにも確実に継承されていると思った。ひるがえって日本のいわゆる超難関エリート男子高校の生徒はいかがであろうか。
1840年創設セント・ポール英国国教会
12月2日。キャンディー中心部にあるセント・ポール英国国教会(AnglicanChurch)。当日は日曜日であり朝の礼拝が終わって信者たちが教会の入り口や庭で三々五々と集まりクッキーと紅茶で談笑していた。