2024年11月22日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2024年4月7日

セント・ポール英国国教会の牧師様。当日はミサの後でクリスマスに行う慈善活動の打ち合わせで忙しくされていた

 牧師(priest)は穏やかな40歳くらいのスリランカ人だった。現在教区(parish)の信者は約400家族とのこと。英国国教会は世界遺産“仏歯寺”とキャンディー王国時代の宮殿に隣接している。キャンディー国立博物館の解説によると当時キャンディー一帯を統治していたキャンディー王国のシンハラ王朝は英国の侵略に抵抗できず1815年に統治権を英国王ジョージ三世に委譲。その統治権委譲契約書は英語・シンハラ語で併記されている。独自の文字を持つだけの文明の進んだ仏教を奉じる王国だったようだ。

 統治権委譲から僅か25年後に仏教信仰の中心地のキャンディーに英国国教会を建設して英国人牧師たちは布教活動を本格化。そして200年後に英国からスリランカが独立してからも英国国教会はスリランカ人牧師により教区を守ってきた。統治者・支配者が変わっても信仰は継承される。スリランカ人牧師の温厚なお人柄に接して改めて宗教の持つ力を再認識した。

英国発祥YMCA精神の普遍性

 12月2日。キャンディー市街の商業地区の真ん中にYMCAがあった。1905年創設というから日露戦争の頃だ。キャンディーYMCAの代表者のD氏に話を伺った。 YMCAは1844年に英国国教会の支援の下でジョージ・ウイリアムスがロンドンで創設した。YMCAの最大の特徴は宗教・人種・民族を一切問わない全ての青少年に開かれた教育・体育・福祉・文化活動推進団体であることだとD氏は強調。

 人口12万人の高原都市キャンディーの住民のマジョリティはシンハラ族の仏教徒だが、ヒンズー教徒のタミル族、色々な宗派のキリスト教徒、回教徒も多数居住している。

 現にこの商業地区にはカトリック教会、長老派教会(presbyterian)、メソジスト教会、洗礼教会(Baptists)などのキリスト教会はじめ、二つのヒンズー寺院、三つの回教寺院が共存していると指摘。そして商業地区は仏教の聖地仏歯寺と英国国教会の敷地に隣接している。こうした異なる宗教・異なる民族の青少年が一緒になって活動することで共存共栄(good inter harmony)が実現できるのだとD氏は力説した。

 そしてスリランカが一つの国家(one nation)として発展するためには異なる人々がお互いに認め合う寛容(mutual generosity)が不可欠ですと説いた。筆者は話し方から察するにD氏のバックグランドは聖職者だろう思った。そしてD氏の脳裏には20年以上続いたヒンズー教徒タミル人による内乱への思いがあったのだろう。

大英帝国から連綿とつづく貴人の義務(noblesse oblige)の精神

1828年創建のヌワラ・エリア郵便局。町の中心部にあり現在も郵便局とし て現役である

 財政破綻したスリランカでは政府予算の欠如から教育・医療・福祉など様々な分野で問題山積である。そのなかで慈善団体の活動が社会に一条の光を放っているように思えた。コロンボの国立病院では日本の福岡とコロンボのライオンズクラブから共同寄贈された救急車が活躍していた。シーギリヤの公立学校は資金不足で校舎の雨漏りも満足に修繕できない有様だったが、アヌラダープラのロータリークラブが50万円の資金を集めて楽器を寄付していた。

 12月25日。ビーチリゾートのヒッカドウアで中堅ホテルを経営するK氏は地元のライオンズクラブの副会長。慣例により次年度は会長を務めるという。ライオンズクラブでは地域の基幹公立病院に最近小児科専用のICUを寄付したので先週病院に活用状況を確認に行ってきた。またライオンズクラブでは地域の貧しい子供たち約800人に就学支援しており、今週末は子供たちの発表会があるので参列するという。

 朝から晩まで働き詰めのK氏を見ていてボランティアのために時間を割くことが如何に大変なことなのか想像できた。しかしそんな個人的な事情はおくびにも出さず淡々と慈善事業の意義と目的を説明してくれた。そんなK氏からはノブレス・オブリージュを果たさんとする確固たる使命感が伝わってきた。

ヒッカドウア・ビーチのK氏が所有するホテル。ビーチ沿いの一等地にはこ のような中堅ホテルが軒を連ねている。それらのホテルのオーナーはほぼ全員がライオ ンズ・クラブの会員とのこと

以上 次回に続く

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