2024年6月25日(火)

スポーツ名著から読む現代史

2024年5月8日

「化け物」の予感

 井上に敗れたボクサーがきちんと話してくれるだろうか。触れてほしくない傷口に塩を塗り込むような作業にならないだろうか。最初、著者は躊躇する気持ちが強かったようだ。それでも、実際に井上とグローブを交えたボクサーにしか語ることができない「井上の強さ」を聞き出したい、という思いが勝り、取材を始めた。

 最初に取材したのは、井上がプロ3戦目に対戦した日本ライトフライ級1位、佐野友樹だった。すでに現役引退から5年が経過し、松田ジムでトレーナーをしていた。

 佐野は名古屋市生まれ、小学5年からボクシングを始め、高校は沖縄尚学高校に〝国内留学〟した。東洋大学でボクシングを続けたが途中で断念。名古屋に戻って再びボクシングを始め、22歳でプロデビュー。

 8年後の11年8月、初めて日本タイトルに挑戦する機会を得たが、きわどい判定負けでベルトを逃した。網膜剥離の一歩手前まで眼の状態が悪化し、2度の手術を経験。現役続行か悩んでいるとき、井上と対戦する話がジムに持ち込まれた。

 一方の井上は高校1年でインターハイ、国体など高校3冠を達成、高校3年ではインドネシア大統領杯、シニアの全日本選手権を制するなどアマチュア7冠を勲章にプロへ転向。いきなり八回戦デビューし、フィリピンとタイの王者にあっさりKO勝ちして2連勝、期待通りの「大器ぶり」を発揮した。すでに31歳になっていた佐野が、売り出し中の井上の「咬ませ犬」として選ばれたのではとは誰もが思う。

 <しかし、咬まれるつもりはさらさらない。井上が生まれる前からボクシングを始め、チャンピオンを夢見て、汗水垂らしてきた><名のある井上を食えば、一気にジャンプできる。佐野にも野心がある。もしかしたら、手術明けで約1年ぶりの試合は、最後の試合になるかもしれない。この試合に人生を賭ける。熱い思いが心の中でほとばしる。>(同書54頁)

 13年4月16日、後楽園ホール。「怪物」井上と佐野が対戦する十回戦はフジテレビで生中継された。フジがゴールデンタイムにプロボクシングを生中継するのは21年前の世界戦以来だった。

 <開始ゴングが鳴る。ファーストコンタクトは、井上が上体をかがめ、左のボディージャブから入ってきた。(略)試合はすぐに動き出す。開始1分20秒、佐野が上体をわずかに下げた瞬間だった。ダイナミックで天高くつき上げる左アッパーが飛んできた。この試合で井上が初めて放ったアッパー。網膜裂孔の手術をした右目に直撃し、右まぶたをカットした。この一発で佐野に異変が起きた。「試合であのアッパーが一番効いた。パンチをもらった右目だけでなく、あまりの衝撃で左目まで見えなくなったんです」>(61頁)

 2回、50秒過ぎ、井上の左フックを頬に食らい、吹き飛ばされるようにダウン。立ち上がった佐野に嵐のような井上のパンチが襲った。

 だが、その猛攻の中でアクシデントが起きた。井上の右ストレートが佐野の頭にゴツンと当たり、井上は右拳を痛めた。

 3回以降、井上は左手一本で戦うことになった。それでも左ジャブ、伸びる左ストレート、左フックから左アッパーのコンビネーション、左フックのトリプル――多彩なパンチに佐野は防戦一方。4回には2度目のダウンを喫した。

 打たれても、打たれても試合を捨てない佐野。回が進むにつれ、場内からは「佐野コール」が沸き起こった。

 だが最終の10回、その時は訪れた。1分過ぎ、井上の左フックの連打に、レフェリーが両者に割って入り、右手を大きく左右に振り、試合を止めた。

 試合後の控室。記者に囲まれた佐野は井上の印象をこう語っている。「強かったし、速かった。テンポ、間の取り方がすごくうまかった。20歳の子の強さではない。今までやってきた選手の中で一番速かった」「みんな、井上と闘うなら今しかない。来年、再来年になったらもっと化け物になる。歯が立たなくなるぞ」

 佐野の予言した通り、井上は「化け物」としての階段を猛烈な勢いで駆け上っていく。


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