2024年7月3日(水)

スポーツ名著から読む現代史

2024年5月8日

まるで「交通事故」

 井上が初めて世界タイトルに挑んだのは14年4月6日。WBC世界ライトフライ級、アドリアン・エルナンデス(メキシコ)を6回2分54秒、TKOで下し、日本ジム所属選手として76人目の世界チャンピオンとなった。

 エルナンデスは11年4月、WBCのタイトルを獲得し、井上戦は5度目のタイトル防衛戦だった。脂の乗り切った28歳のチャンピオンの戦績は32戦29勝(18KO)2敗1分けに対し、挑戦者は20歳でプロキャリアはわずか5戦(5勝)。井上戦のわずか2カ月前、3回KOで4度目のタイトル防衛に成功したばかりのエルナンデスが東京での防衛戦を承諾した。

 <エルナンデスはプロモーターから告げられた。「次はイノウエだよ」。初めて聞く名前だった。「分かった」。短い返事をしただけだった。(略)脂の乗った28歳のエルナンデスには自信があった。得意の接近戦には磨きがかかり、この階級ではパワーも突出している。前戦は一方的な三回TKO勝ちでダメージはない。練習の蓄積もある。「自信過剰になったわけではないけど、これまでの経験を考えたら井上は僕のプロのパンチを感じることになる」>(145頁)

 タイトルマッチが行われたのは東京の大田区総合体育館。観衆は4300人だった。日本人最短のプロ6戦目で世界に挑戦した井上。だが、国内でもまだ井上の「モンスターぶり」は知れ渡っていなかったことを物語る会場であり、観客数だったと言えるだろう。

 開始1分、試合が動いた。<(井上の)左ジャブが顎をめがけてきたと思い、それに意識を奪われた。次の瞬間、何が起こったのか分からなかった。何のパンチが飛んできたのか、一切見えなかった。エルナンデスは気が付いたら右のボディーストレートをみぞおちに食らっていた。足がもつれ、一瞬よろける。>(147頁)

 「あれはサプライズだった」と振り返る井上の先制攻撃。エルナンデスのダメージは大きかった。何とか立て直そうとしたが、3回には左目の上をカットし、血がしたたり落ちた。

 フィナーレは6回だった。接近戦に持ち込もうとしたチャンピオンのあごに右ストレートが炸裂、初めてのダウンを喫した。

 カウントスリーで立ち上がったものの、井上に背を向け、ロープにもたれかかった。レフェリーは試合を止めた。井上がWBCのタイトルを獲得した瞬間だった。

 <「あの頃はまだ(井上は)モンスターではなかったかもしれないね。ただ、リング上では驚かされた。スピードはあるし、パンチも的確。あらゆる面でサプライズを与えられた。僕自身はボクシングで『ボディー打ち』が一番大事だと思っている。井上はそれをすべてマスターしていた。あのレバーに被弾したボディー打ちはまるで交通事故のようだった。悔しいけど、明確に倒された。驚かされたという他なかったんだ」>(152頁)

硬すぎるパンチ

 世界タイトルマッチで通算28勝。「アルゼンチンの英雄」と呼ばれる国民的ヒーロー、オマール・ナルバエスも39歳で井上の挑戦を受け、井上の尋常ではない強さの前に足掛け13年にわたって守り続けた世界チャンピオンの座から陥落した。

 02年、アドニス・リバス(ニカラグア)を下してWBOフライ級の世界王者となったナルバエスは16度タイトルを防衛した後、10年、階級を一つ上げてWBOスーパーフライ級の王者エベルト・ブリセノ(ニカラグア)に挑戦、大差で判定勝ちし、2階級制覇を達成した。3度防衛した後、バンタム級に上げて3階級制覇を目指したが、こちらは失敗。再びスーパーフライ級に戻って世界タイトルを11度防衛と記録を積み上げ、12度目の防衛戦の対戦相手が井上だった。

 <ナオヤ・イノウエ…。初めて聞く名前だった。それもそのはずだ。スーパーフライ級王者にとって、2階級下のライトフライ級王者は対戦候補に挙がらない。ましてや、井上はまだプロ7戦しかしていなかった。2階級上げて即、世界タイトルに挑戦すること自体、異例中の異例のことだった>(181頁)

 14年12月30日、東京体育館には8000人の観客が集まった。開始のゴングが鳴り、井上のジャブが飛んできた。プロで46戦のキャリアを持つナルバエスの心の中で衝撃が走った。

 <一発目のジャブをもらったとき、他のボクサーと違うなと感じた。『グローブをはめていないのでは』という硬さというのか、何か硬いモノで殴られたような感覚というのか、過去に闘った誰とも異なるパンチの質だったんだ」>(184頁)

 その直後、井上の右のオーバーハンドが顔面に飛んできた。両腕を上げてガードしたが、井上の右がガードの内側に入り、おでこに被弾。続けて2発目、今度は右ストレートをまともに食らい、吹き飛ばされるように背中からキャンバスに崩れ落ちた。開始からわずか30秒、ナルバエスにとってプロ・アマを通じて21年、約150戦で初めてのダウンだった。


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