崖っぷちまで追い詰められていたオリンピック(五輪)金メダリストが鮮やかな逆転劇で、2大会連続の五輪切符を手中に収めた。柔道の東京五輪日本男子100キロ級覇者で、今夏のパリ五輪同級代表に決まったウルフ・アロン(パーク24)。2年前に栄光の頂点に立った後、2月まで一度も国際大会で優勝ができず、2月のグランドスラム(GS)パリ大会を迎えたときには、〝2番手〟と苦しい立場だった。
そんな逆境をバネにウルフは這い上がった。GSパリ大会を制する「一発回答」でその後の選考を待たずに代表内定をつかみ取ったのだ。
いざ、五輪2連覇へ――。「五輪を連覇できるのは優勝した人間だけ」と自負するウルフの五輪が約5カ月後に幕を開ける。
「柔道界のために」が選手としての評価を下げる
「もう芸能人になったのか」。こんな辛辣な声が柔道界から漏れてきたのは、2022年4月にオンラインで開催された全日本柔道連盟の強化委員会の中でのことだった。
ウルフは前年夏の東京五輪で男子100キロ級に、2000年シドニー五輪の井上康生以来となる金メダルをもたらした功労者だった。17年の世界選手権、19年の全日本選手権と合わせて柔道界の「三冠」を達成。持ち前の明るい性格と〝お茶の間ウケ〟するトーク力で金メダル獲得後は、テレビ番組に引っ張りだこになった。
イベントなどにも出演が相次ぐ一方、本業の実戦からは遠ざかった。この間は体重過多で、22年に復帰したが、4月の全日本選抜体重別選手権をけがで欠場。世界選手権代表は見送られ、同年秋のアジア大会代表に選出された。冒頭の発言は、五輪後の試合出場がないにも関わらず、五輪金メダルだけで選考されたことに対する厳しい強化委員からの指摘だった。
しかし、ウルフは「芸能人」になったわけではなかった。東京五輪で金メダルを獲得し、世間に知名度が浸透したからこそ、〝畳の外〟から盛り上げ役を買って出たのだった。日本国内で競技人口が減少傾向にある柔道において、ウルフは、厳格で敷居の高い印象を抱く世間との距離を近づける役割を果たす一翼を担おうとした。
不運と想定外だったのは、復帰後のプランが減量苦やブランクによる試合勘の影響もあって、停滞したことだ。印象的だったのは、五輪以来となる458日ぶりの個人戦となった22年10月の講道館杯。