ロシアはさらに4月には、国連安全保障理事会で対北朝鮮制裁の実施状況を監視してきた専門家パネルを、拒否権を行使して活動終了に追い込んだ。北朝鮮が目指す軍事力強化を、技術供与を通じて支援し、さらに国連の制裁を骨抜きにする――。ロシアへの協力で北朝鮮が得た対価は、極めて大きいものだったことは間違いない。
ソ連時代は訪朝せず
しかし、訪朝というカードを使い、北朝鮮との関係を誇示するプーチン氏の手法は、旧ソ連時代の首脳が誰も訪朝しなかった事実を考えれば、極めて異例なものだ。
ソ連、ロシアと北朝鮮の関係とはどのようなものなのか。
第二次世界大戦が終結した時、朝鮮半島北部を占領していたソ連は、米国の影響下で1948年8月に韓国政府が樹立されると、翌9月に北朝鮮を建国させた。さらにソ連の後ろ盾を得て指導者となった金日成は、「南進統一」を提案し、その提案をスターリンは支持。
その結果、50年6月には朝鮮戦争が勃発する。戦争は約400万人ともいわれる膨大な数の犠牲者を出しながら、53年に休戦に至った。
ただ、北朝鮮はソ連の傀儡国家だったにもかかわらず、両国の関係は決して強固な同盟関係には至らなかった。背景には、北朝鮮に対するソ連側への強い不信感がある。
北朝鮮は戦後、多大な支援をソ連から受けて復興した。その後も経済、軍事両面で、ソ連崩壊直前まで支援を受け続けたが、ソ連が主導した経済協力機構への加盟を拒み、ソ連が中国と対立した際には、中ソ双方からの支援を受けるために北朝鮮は中立的な立場を維持したことから、ソ連首脳は北朝鮮を信用しなかったとされる。さらにソ連崩壊後のロシアの経済的混乱、民主化の流れのなかで、ロシア・北朝鮮の関係は一層疎遠になった。
しかし、そのような状況を大きく転換させたのがプーチン政権だ。大統領就任間もないプーチン氏は2000年7月に訪朝に踏み切り、北朝鮮指導部からミサイル開発を抑制するという言質をとった。
プーチン氏は当時、国際舞台ではほぼ無名の存在だったが、この訪朝により、直後に行われた沖縄サミットでは政治家としての自身の存在感と、ロシアの重要性を各国首脳に強烈に印象付けた経緯がある。
その後も、プーチン政権は北朝鮮と緩やかな接近を続ける。金正日総書記は01年、02年と訪露し、11年にも東シベリアのウラン・ウデで、当時のメドベージェフ大統領と会談した。
ロシアは12年には、ソ連時代の対北朝鮮債務の大半を免除し、残りの債務は両国間の経済開発に充てると発表。その後も制裁下にある北朝鮮からの労働者の受け入れや、エネルギー資源の提供など、ロシアは北朝鮮と緊密な関係を維持し続けた。