パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年12月12日

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 「当時就職するには松葉杖を使うなど、どんな形にしろ、 歩かなければ就職できなかった時代ですから、とにかくそこでは一生懸命に歩く訓練をしました」

 当時と今では時代背景が異なり、社会全体に障害や障害者に対する情報が乏しく理解も少なかった。星は中学生にして厳しい現実と向き合いながら生活を送っていたのである。

東京オリンピック・パラリンピックで目にしたのは…

 養護学校では車椅子の使い方を学んだ。運動会では生来の負けず嫌いと腕力の強さを発揮して、レースでは誰にも負けなかった。

 「当時車椅子の前に付いていたキャスターを自分で持ち上げられる人がいなかったんです。それができると段差を上がったり、降りたりすることができました。その当時は舗装道路もなかったので、キャスターが上がればどんな所でもだいたい行けました。自然に覚えたのですが、これができると走るのにとっても有利だったんです」

 1964年、16歳のときに東京オリンピック・パラリンピックが開催された。東京に引っ越していた星は、車椅子スラローム競技(約30メートルの距離に赤と白の目印となるゲートを設置し、白は前進、赤は後進で通過し、タイムを競う競技)で段差が上がれない選手を見て驚くと同時に、「アメリカの障害者の中にはキャスターを自分であげられる人がいるんですよ」と関係者から聞いて、自分のテクニックの特異性に気が付いた。

 「僕は小さい頃から腕だけを頼りに遊んでいましたので上半身が強かったんですよ。キャスター上げが出来るようになるには、やはり転んだりしないと身に付かないものなんです」

 やんちゃな幼少期を送った星は逞しかった。

 ちなみにパラリンピックという名称は、「オリンピック開催年にオリンピック開催国で行われる国際ストーク・マンデビル大会」=「Paraplegia(対まひ者)」の「Olympic」=「Paralympic」という発想から、東京大会の際に日本のマスコミが名付けた愛称であった。(パラリンピックSpecial Siteより引用)

 1965年、都道府県持ち回りで国体終了後に行われる「全国身体障害者スポーツ大会」の第1回大会が岐阜県で開催された。星は東京代表として車椅子陸上競技と水泳、卓球に出場した。

 「車椅子スラロームで僕が前のキャスターを上げると『おぉ~』と歓声が上がっていたと東京都の職員たちが喜んでいました。競技中は集中していたから周りの声なんて聞こえて来なかったですけどね」

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