繁盛している家族で営む中華料理屋、女将は江蘇省からの移住者
3月25日。街道沿いにある照明の明るい中華料理屋。女将と長男の中学生、その妹の3人で接客している。話していたら女将は江蘇省の常熟出身と判明。常熟は蘇州に近く風光明媚な町だ。放浪ジジイはメーカー勤務時代に常熟で現地法人設立に携わった経験があるので女将と話が弾んだ。
旦那は韓国人で他の仕事をしており、厨房は江蘇省出身の女将の親戚の若者に任せている。女将によると客筋は地元の華僑系フィリピン人が固定客。中国人観光客や最近増えた中国からの移住者も多いとのこと。
女将はクリスチャンでドゥマゲッティ市街の中国人教会(Chinese Christian Church)に子供を連れて通っているという。イースターのミサに一緒に参加することになった。
マンダリンは将来仕事で役に立つ、1928年創立中華学校の現在
3月26日。ドゥマゲッティ市街の聖十字架(Holy Cross)中華学校を訪問。ディレクターによると小中高一貫教育、現在生徒数663人。両親ともに大陸から移住してきた純粋中国人生徒は全体の約10%。つまり過去10年くらいの期間に少なくとも50家族以上が中国からドゥマゲッティに移住してきたと推計される。それ以外は数代前に中国から移住してきた華僑系フィリピン人および純粋フィリピン人の子女。郊外にも分校があったが数年前に閉鎖して本校に統合した。
ビサヤ語・英語で授業。他に中国語(マンダリン)の時間を設けている。将来中国とのビジネスに役立つと人気らしい。ちなみに現在の中国語教師4人の内3人は生徒の親で大陸から移住者してきた高学歴のネイティブスピーカーとのこと。伝統的に華僑は教育熱心で中華学校は教育水準が高いが同校も大学進学率は高いとディレクター氏は胸を張った。
中国人教会のイースター・ミサ、讃美歌の後は本格的中華ビュッフェ
3月31日。ミサは早朝6時からというので早起き。集まった信者はおよそ180人。代々フィリピンで暮らす華僑系フィリピン人は中国語が苦手らしく牧師は英語で説教。スクリーンで中国語の簡体字と繁体字の字幕も同時に流している。
讃美歌を歌って7時半頃にミサが終わり、休憩の後で8時からバイキング形式の朝餐会。集会室や庭のテラスにテーブルや椅子が置かれ豪華な中華料理が並んでいる。例の中華料理屋の家族や同じテーブルの信者とおしゃべり。中国人教会の信徒は全員で約300人、大陸からの新規移住者が徐々に増えているらしい。
シニア女性3人組は北京から移住、中国人の老後の理想的移住先
日本人が珍しいらしく次々と挨拶される。やはり多数を占める華僑系フィリピン人はカタコトの中国語だけで会話は英語中心である。その中で古希ジジイと同年代と思しき3人組の女性たちは逆に英語はカタコトであり中国語でガンガン話しかけてきた。
代表格の王燕さんは1954年生まれ。古希ジジイより1年若い。3人とも北京出身で昔からの友人とのこと。王燕さんだけがクリスチャンで他の2人を誘ってミサに来たようだ。
3人は引退した旦那ともどもドゥマゲッティに移住してきたという。中国では受給年金額は地域間格差があり平均所得が高い北京市民でそれなりの仕事をしていた場合には十分な金額を受給できるようだ。さらに家賃が高い北京で自分の住んでいるアパートを賃貸しすればかなりの収入になるという。
それで北京や上海などでは引退後の海外移住が流行しているという。厳しい気候や水や空気の汚染という深刻な環境問題も大きな理由のようだ。
老後の移住先として最初に言葉の通じる台湾も検討したが物価が意外に高いので敬遠。フィリピンでは最初にマニラを検討したが、最終的に物価が安くて自然環境が素晴らしく気候が穏やかなドゥマゲッティに決めたという。
かつて引退後にマレーシアやタイに移住した日本人が近年は現地の物価高騰と円安の追い打ちにより海外老後生活を断念しつつある。かつて筆者が北京に駐在していた十数年前には1人民元=13~14日本円であった。現在では日本の老人が70歳でも半数近くが何らかの仕事をしている実情と比べると中国が経済力でひたひたと日本を逆転しつつある現実に愕然とした。
以上 次回に続く