ここには、ロシアが主導するIBAと、今回の五輪でもロシアを国としては出場を認めないIOCという国際関係の構図も見え隠れする。こうした状況下で、2選手の性別が「政争の具」として扱われているように映る。
犠牲となる選手たち
インターネット上では、一連の経緯からケリフ選手らへの誹謗中傷が後を絶たない。外見を揶揄し、強さの要因を「性別」に求めた無責任な投稿にあふれる。性自認が身体的性と一致しないトランスジェンダーと誤解した投稿も目立ち、IBAの主張に沿う形で、2選手の染色体が一般と異なる「性分化疾患」との前提に立った議論も巻き起こる。
こうした事態に、ケリフ選手は五輪期間中、メンタルヘルスを担うチームからSNSの閲覧を禁止されているという。台湾のオリンピック委員会も法的措置を辞さない構えでIBAに警告書を出した。
2選手の身に起きた誹謗中傷や、組織を巻き込んだ非難の応酬は、アスリートの立場を超えた大きな犠牲を払うことになった。ケリフ選手に敗れたカリニ選手はその後、イタリアメディアに対して、「この論争のすべてが悲しくなった。対戦相手(ケリフ選手)にも申し訳ない。IOCが試合に出られると言ったのなら、その決定を尊重するだけ」と謝罪の意を示していた。
社会の変容は、性別を含め、これまで想定していなかった状況を考えていくことが求められる時代になっている。特にスポーツはルールや階級を定め、公平かつ公正で、安全面にも考慮した条件下で実施することを前提とする一方、すべての人が人種や性別などの差別なくスポーツをする権利を持っている。
生物学的な性別をめぐる「線引き」に、いま求められているのは感情論ではなく、医学的な見地も踏まえた慎重な議論ではないだろうか。