米国で薄れつつある
日本の「歴史」をどう守る?
日本の国力の低下に相まって、日本に対する関心も低下し、米国の大学で日本を学ぶ学生の数も減少した。当然、それを教える教員ポストも減ってくる。
トップレベルの米国の大学には、日本専門家と中国専門家の両方のポストがそれぞれ複数存在する。しかし、それ以外の多くの大学では両方を雇用する余裕がなく、東アジア専門家を一人しか雇えない。日本に対する関心が高かった1990年代には、東アジア研究のポストに多くの日本専門家が雇われ、中国のことも教える光景が見られた。それが近年、中国に対する関心の高まりによって逆転している。
日本分野の教員ポストが減るということは、日本について専門的に学ぶ大学院生が減ることを意味する。就職先が先細りの分野に飛び込む大学院生は少ない。日本について専門的な知識をもった米国人エリートが減ること、それは将来、重要な局面で米国が日本に対する判断を間違った知識に基づいて行い、誤った決断を下す可能性にもつながる。
国際交流基金が、海外の日本研究者を支援したり、日本語で書かれた優れた研究を英語で発信するなどしている。それらは極めて重要な貢献ではあるが、まだまだ規模が小さく十分ではない。
米国内での日本研究者の減少と中国研究者の増加は長い目で見れば、中国寄りの日本観が米国社会に広まることを意味する。過去の歴史についての見方などについても、中国に都合の良い立場が米国の教育現場で広まっていく可能性が増すのである。そうならないように日本専門家やそのポストを増やすことが重要であり、その努力を怠ってはならない。
さらに忘れてはならないことは、東アジア専門家の扱う史料の重要性である。特に、過去において米国人、ヨーロッパ人がかつて日本に来日した際の記録というのは極めて重要である。そこには他のアジアに比べて当時の日本人を高く評価した記録が多く存在する。また、異なる評価をした記録も存在する。それらをどのように守っていくのかは専門家次第である。
日本人は黙っていても正しければ最終的にはわかってもらえると考えがちであるが、国際社会はそのようにはいかない。「正しい歴史」というものは、揺るぎなく存在するわけではなく、常にせめぎ合いの中で作られていくものなのだ。
韓国は、日本海のことを「東海」と呼ぶ史料に関する史料調査を積極的に実施しているが、そこで日本海と表記された史料が多く見つかっても、それらを大切にしてくれるかどうかその保証はない。そうした中で日本人みずからさまざまな文献を探し守っていくこと、その文献を読み、日本人とは何か、どういう国民性なのか、どういう考えを持っているのかなど、「日本人」そのものをもっと知らしめていくことが日本人の責務だろう。
90年代に欧米を旅行すると売店などで「こんにちは」と言われたものだが、最近では「ニーハオ」と言われることの方が圧倒的に多い。中国や韓国の存在感が増しており、アジア人=中国人、もしくは韓国人という認識が確実に広まっている。ただそうした現状においても米国人がアジア人を見ても、日本人や中国人の区別がつかない状況は今も昔も変わっていない(それは、日本人が白人や黒人を見ても、どの国の出身なのか区別がつかないことと似ている)。米国社会で日本の存在感が薄らぐ中、日本人の存在感を増していかなければならない。