2024年8月8日付ウォールストリート・ジャーナル紙は「ウォルツの対中認識(魅せられたが人権対応を嫌悪)」との解説記事を掲載し、ハリス民主党大統領候補の副大統領候補となったウォルズ・ミネソタ州知事の中国との接点を説明している。
1989年の天安門事件以降も、ウォルズは訪中計画を続けた。同年大学を卒業したウォルズは、広東省仏山の高校生に英語と米国史を教えるため訪中。それはその後の30回以上の訪中の始まりで、彼は中国の隅々まで訪れ、最大の競争相手との関係に関する造詣を形作った。
2016年の議会証言でウォルズは「自分の訪中は完全な無知から始まり複雑で困難だった」と述べている。
ウォルズの中国との関係はトランプ、バンス、訪中経験の無いハリスと対照的だ。過去の発言からみると、政治家としてのウォルズの中国への主な関心は、劣悪な人権状況だ。
ウォルズは、共産中国に魅せられ対中弱腰だ、と共和党から攻撃された。コットン上院議員は「ウォルズは35年の共産中国との普通でない関係を国民に説明する責任がある」と投稿した。ハリス・ウォルツ陣営は「ウォルズは、常に中国共産党に対抗し、人権と民主主義のために闘い、米国の雇用と製造業を最優先してきた」との声明を出した。
教師の後、ウォルズは旅行会社を作り、長年米国学生の訪中を助けた。ある履歴では、1994年の旅行は、彼のハネムーンも兼ねていた。ウォルズは天安門事件5周年の6月4日に結婚したが、将来の妻曰く、彼は自分が忘れない日付の結婚を希望した。
政治家としては中国社会エリートにアクセスを得た。彼はインタビューで元中国首相との激論を回顧している。
ダライ・ラマとの会談写真を投稿し香港の活動家ジョシュア・ウォンにも面会した。天安門事件後のウォルズの訪中は、断交要求を含む強い対中批判が広がる中、ブッシュ大統領が実務的外交関係を維持すると決定した際の象徴になった。