身近な例をあげると、日本では数十年前まで「男は仕事、女は家庭」という価値観が一般的でした。女性は結婚とともに離職を迫られるという暗黙の制度があり、男性中心の社会構造が作り上げられていたわけです。男性はとんとん拍子で出世できるにもかかわらず、女性は働き続けたくても結婚とともに離職を促されるという現実があり、社会のマイノリティーだった女性の声はあまり反映されませんでした。これは日本人が守りたいと望んだ文化だったわけではなく、徐々に問題視され、女性の社会進出が進み、日本社会は変わっていきました。
同様に、各国には宗教や民族、性別などを理由に、社会の中で差別されているマイノリティーの人たちがいます。その人たちの声が無視されてはいけません。他国における差別構造の改善を手伝ってあげたり、人々の自由を確保したいと思ったりするのであれば、その国の政府と議論するだけではなく、政府以外の声をどれだけ拾い集めることができるかが重要です。
市原 分断や格差が広がった原因の一つには、SNSが主要なコミュニケーションツールになり、社会関係資本(Social Capital)が弱まったことがあると思います。
社会関係資本とは、自分たちのコミュニティーや個人の環境を改善するために協力し合うことを可能にするような、「信頼、規範、ネットワーク」のことです。「地域のお祭りの準備に協力したくない」「休みの日なのにミーティングに参加するのは損だ」と思ったとしても、「近所の人も協力しているし、地域が良くなるのであれば参加してみよう」といった、コミュニティー内の人間同士の信頼関係のことです。この社会的関係資本は、民主主義にとっては重要です。
しかし、SNS空間には、物理的な人間がおらず、人と人との信頼関係は軽視され、自分の承認欲求を満たすことが重視されます。人間同士の直接的な接触がないので、匿名で他人を中傷する投稿や偽情報を流しても、跳ね返ってくるダメージはありません。
この状況を改善するには、ありきたりですが、対面でのコミュニケーションを増やすしかありません。コロナ禍でリモートワークが広がり好意的に受け止められた半面、社会関係資本はさらに失われていきました。背景の異なる人たちがお互いに理解し合えるような場を、政治的ではない場所から創り出していく営みが重要です。
市原 ミクロな例ですが、日本社会には、「校則」のようなものが多すぎるので、そこから解き放たれることが必要だと思います。
日本社会は、ルールの中にマナーが組み込まれ、行動範囲を自分たちで狭めているという例が少なくありません。学校の校則を見ると、「スカートの丈はひざ下まで」「髪の毛はツーブロック禁止」など、幅広く「あれはしていけない」「これをしてはいけない」と規定されています。実際には、スカートの丈や髪の毛がどうであれ、他人に危害が及ぶわけではありません。本来は、最低限やってはいけないことを決めたルールを作るべきなのに、制約が多すぎるせいで、その枠の中でだけ行動すればいいという発想になりがちです。
こうした制約から解き放たれていくと、「自分が何をしたいのか」「何をすべきなのか」を自ら定義づけようという行動が生まれていくと思います。民主主義の実践としては、常日頃からこうした行動をとることが必要です。
一市民がいきなり政治の世界に飛び込むことはハードルが高いと思います。ですから、職場における上司・部下の関係や、学校や部活動における先生と生徒の関係においても、それまでのやり方にとらわれず、自分が正しいと思うことを提案したり、改善したり、説得するといった小さなことから始めてみることが必要だと思います。そのトレーニングの積み重ねこそが民主主義の実践に他なりません。まずは、勇気を持ってできることから始めてみませんか。