2024年10月19日(土)

民主主義は人々を幸せにするのか?

2024年10月19日

 民主主義とは何か、権威主義と対立関係なのか……?民主主義に関する疑問を一橋大学の市原氏に聞いた。 

MICHAEL H/GETTYIMAGES

Q1 そもそも、「民主主義」とはどのように定義されているものなのでしょうか

市原 民主主義は共通の受け入れられた定義がない概念です。政治学の研究の中では、大きく分けて二つの方向性で定義づけられています。

 一つは「手続き的定義」と呼ばれ、選挙制度の観点で民主主義を規定するものです。①自由・平等・定期的な選挙があること、②人々が投票権を持っていること、という2つの要件を満たせば、民主主義とみなします。

 この①・②に、③市民的自由が確保されていること、を加えたものが「実質的定義」です。市民的自由とは、言論や報道、集会・結社、学問の自由など、人々の行動の自由に関わるものが含まれています。

 自由で公平な選挙を成り立たせるためには、投票権が平等に与えられていることや誰でも自由に選挙に出馬できること、候補者が現政権や対立候補を批判でき、メディアが自由に報道できること、などが必要です。民主主義にとって、「市民的自由」は欠かせないものです。

Q2 民主主義が危機に瀕しているといわれます。この背景にはどのような要因があるのでしょうか?

市原 今、危機に瀕しているのは「市民的自由」です。背景には、民主主義下で選挙に勝利することが目的化し、手段を選ばなくなったことがあると思います。

 例えば、民主主義国家であるインドでは、イスラム教徒をはじめとするマイノリティーに対する人権侵害や差別が深刻化しています。2019年に市民権法が制定され、イスラム教徒以外の不法移民には市民権が与えられました。モディ首相が、母体であるインド人民党(BJP)の支持を盤石にするために、それまで政治的に動員されていなかった低カーストのヒンドゥー教徒を含めた多数派のヒンドゥー教徒による支持を取り込むためです。

 政府による人権侵害を批判するメディアや研究者、NGOは、政府から圧力をかけられています。身に覚えのない脱税容疑でNGOの銀行口座が差し押さえられたり、閉鎖に追い込まれたりしています。

 インドネシアでは市民社会が圧力を受けてNGOの活動が縮小させられ、フィリピンでは政権批判を辞さないニュースサイト『ラップラー』が当時のドゥテルテ政権に事業免許を取り消されるなどしました。

 このように「民主主義の危機」とは、市民的自由が大きく損なわれる「自由主義の危機」とも言い換えられます。

 米ハーバード大学の政治学者のスティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは『民主主義の死に方』(新潮社)で、「民主主義のガードレールが壊されている」と表現しています。ガードレールとは、民主主義を支える上で重要な「寛容」や「自制心」などの慣習を意図しています。つまり、法や制度という明白なものが壊される以前に、寛容さや自制心が弱まることで、民主主義自体が脅かされているということです。民主主義や自由主義の危機にはこうした要因があるのでしょう。

Q3 歴史的に見て、現在の民主主義はどのような状況にあると分析されているのでしょうか?

市原 「民主主義の危機」はこれまでに何度かありました。

 民主化にはこれまで「三つの波」があったといわれています(27頁図)。アメリカの独立やフランス革命などを起点とするのが「第一の波」、第二次世界大戦前後の期間が「第二の波」、そして、1970年代半ばから「第三の波」が訪れたという見方です。

 ここで注目すべきは、それぞれの民主化の波がおさまった後に、「揺り戻しの波」があるということです。そして、下記図を見ると、第三の波では民主主義国の増加が目覚ましかった半面、その後、急激に落ち込み、逆に、権威主義化する国が増加していることが分かります。民主主義は今、深刻な状況にあります。

 さらにこの状況は、民主主義体制の中核にある選挙や法の支配、人権という正統性のある概念が権威主義国によって利用されていることで、分かりにくくなっています。

 選挙自体は実施しているものの、1人の有権者が何枚もの投票用紙を投票箱に入れる「水増し選挙」が行われることもあります。本当の野党候補者が選挙に立候補できず、野党そのものの解党や政府批判の報道をするメディアが閉鎖させられることもあります。典型例がロシアの選挙です。

 このように、形式上、選挙は実施しているものの、公平な選挙とは認められない例が、世界中で後を絶ちません。外見からは判別できない「競争的権威主義」の国が増加しているという現象が起きています。

Q4 現在の世界は、民主主義と権威主義の対立構造にあるのでしょうか?

市原 必ずしもそうとは言い切れません。「民主主義対権威主義」というフレームワークを持ち出したのはアメリカのバイデン大統領です。20年の大統領選挙の際、トランプ氏が破壊したアメリカ国内の民主主義を修復させることが目的でした。

 しかし、バイデン大統領が、民主主義を守るために国際的にも協力していこうと世界に呼びかけたことにより、民主主義と権威主義の間に、「敵」「味方」の政治的な国際対立の構図があるかのようになりました。

 さらに状況を難しくしたのは、ロシアによるウクライナ侵攻です。ゼレンスキー大統領は、「ロシアという権威主義国によって我々民主主義国が侵略された」と強調しました。アメリカやNATO(北大西洋条約機構)、EU(欧州連合)も民主主義の旗の下に団結することを誓い、「民主主義対権威主義」の構図は、戦争を戦うための「イデオロギー」かのようになりました。グローバルサウスといわれる国々がウクライナ支援で連帯することを躊躇った理由の一端もここにあります。

 本来、民主主義は、国内制度と価値の問題です。しかし、近年、政治や安全保障の文脈に絡めとられるようになり、対立の構図が強調されています。民主主義の制度と価値自体の問題にも目を向けるべきです。

Q5 権威主義国の中には「民主主義の価値観を押し付けるな」と主張する国もあります。

市原 1990年代に「西洋的価値観はアジアには合わないのではないか」という議論が巻き起こりました。「我々の文化に外国の文化を押し付けるな」という考えは今でも根強くあるものだと思います。

 実際に、非民主主義国に民主主義を根付かせようとしても、全てうまくいくということはありません。2003年のイラク戦争後に、イラクの民主化が思うように進まなかったことから見ても明らかです。

 しかし、見落としてはならないことは、各社会の既存の政治構造は、その社会の既得権益層の利益を反映したものであるということです。

 身近な例をあげると、日本では数十年前まで「男は仕事、女は家庭」という価値観が一般的でした。女性は結婚とともに離職を迫られるという暗黙の制度があり、男性中心の社会構造が作り上げられていたわけです。男性はとんとん拍子で出世できるにもかかわらず、女性は働き続けたくても結婚とともに離職を促されるという現実があり、社会のマイノリティーだった女性の声はあまり反映されませんでした。これは日本人が守りたいと望んだ文化だったわけではなく、徐々に問題視され、女性の社会進出が進み、日本社会は変わっていきました。

 同様に、各国には宗教や民族、性別などを理由に、社会の中で差別されているマイノリティーの人たちがいます。その人たちの声が無視されてはいけません。他国における差別構造の改善を手伝ってあげたり、人々の自由を確保したいと思ったりするのであれば、その国の政府と議論するだけではなく、政府以外の声をどれだけ拾い集めることができるかが重要です。

Q6 世界各地で国内の分断や格差が広がっています。何をしていけばいいのでしょうか?

市原 分断や格差が広がった原因の一つには、SNSが主要なコミュニケーションツールになり、社会関係資本(Social Capital)が弱まったことがあると思います。

 社会関係資本とは、自分たちのコミュニティーや個人の環境を改善するために協力し合うことを可能にするような、「信頼、規範、ネットワーク」のことです。「地域のお祭りの準備に協力したくない」「休みの日なのにミーティングに参加するのは損だ」と思ったとしても、「近所の人も協力しているし、地域が良くなるのであれば参加してみよう」といった、コミュニティー内の人間同士の信頼関係のことです。この社会的関係資本は、民主主義にとっては重要です。

 しかし、SNS空間には、物理的な人間がおらず、人と人との信頼関係は軽視され、自分の承認欲求を満たすことが重視されます。人間同士の直接的な接触がないので、匿名で他人を中傷する投稿や偽情報を流しても、跳ね返ってくるダメージはありません。

 この状況を改善するには、ありきたりですが、対面でのコミュニケーションを増やすしかありません。コロナ禍でリモートワークが広がり好意的に受け止められた半面、社会関係資本はさらに失われていきました。背景の異なる人たちがお互いに理解し合えるような場を、政治的ではない場所から創り出していく営みが重要です。

Q7 民主主義を守り、改革していくため、私たちはどのようなことを実践していくべきでしょうか?

市原 ミクロな例ですが、日本社会には、「校則」のようなものが多すぎるので、そこから解き放たれることが必要だと思います。

 日本社会は、ルールの中にマナーが組み込まれ、行動範囲を自分たちで狭めているという例が少なくありません。学校の校則を見ると、「スカートの丈はひざ下まで」「髪の毛はツーブロック禁止」など、幅広く「あれはしていけない」「これをしてはいけない」と規定されています。実際には、スカートの丈や髪の毛がどうであれ、他人に危害が及ぶわけではありません。本来は、最低限やってはいけないことを決めたルールを作るべきなのに、制約が多すぎるせいで、その枠の中でだけ行動すればいいという発想になりがちです。

 こうした制約から解き放たれていくと、「自分が何をしたいのか」「何をすべきなのか」を自ら定義づけようという行動が生まれていくと思います。民主主義の実践としては、常日頃からこうした行動をとることが必要です。

 一市民がいきなり政治の世界に飛び込むことはハードルが高いと思います。ですから、職場における上司・部下の関係や、学校や部活動における先生と生徒の関係においても、それまでのやり方にとらわれず、自分が正しいと思うことを提案したり、改善したり、説得するといった小さなことから始めてみることが必要だと思います。そのトレーニングの積み重ねこそが民主主義の実践に他なりません。まずは、勇気を持ってできることから始めてみませんか。

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Wedge 2024年11月号より
民主主義は 人々を幸せにするのか?
民主主義は 人々を幸せにするのか?

「民主主義が危機に瀕している」といわれて久しい。11月に大統領選を控える米国では、選挙結果次第で「内戦」の再来が懸念されている。欧州では右派ポピュリズムが台頭し、世界では権威主義化する民主主義国も増えている。さらに、インターネットやSNS、そして、AIの爆発的な普及により、世の中には情報が溢れ、社会はより複雑化している。民主主義が様々な「脅威」に晒されている今、民主主義をどう守り、改革していくのか。その方向性を提示する。


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