市原 「民主主義の危機」はこれまでに何度かありました。
民主化にはこれまで「三つの波」があったといわれています(下図)。アメリカの独立やフランス革命などを起点とするのが「第一の波」、第二次世界大戦前後の期間が「第二の波」、そして、1970年代半ばから「第三の波」が訪れたという見方です。
ここで注目すべきは、それぞれの民主化の波がおさまった後に、「揺り戻しの波」があるということです。そして、下記図を見ると、第三の波では民主主義国の増加が目覚ましかった半面、その後、急激に落ち込み、逆に、権威主義化する国が増加していることが分かります。民主主義は今、深刻な状況にあります。
さらにこの状況は、民主主義体制の中核にある選挙や法の支配、人権という正統性のある概念が権威主義国によって利用されていることで、分かりにくくなっています。
選挙自体は実施しているものの、1人の有権者が何枚もの投票用紙を投票箱に入れる「水増し選挙」が行われることもあります。本当の野党候補者が選挙に立候補できず、野党そのものの解党や政府批判の報道をするメディアが閉鎖させられることもあります。典型例がロシアの選挙です。
このように、形式上、選挙は実施しているものの、公平な選挙とは認められない例が、世界中で後を絶ちません。外見からは判別できない「競争的権威主義」の国が増加しているという現象が起きています。
市原 必ずしもそうとは言い切れません。「民主主義対権威主義」というフレームワークを持ち出したのはアメリカのバイデン大統領です。20年の大統領選挙の際、トランプ氏が破壊したアメリカ国内の民主主義を修復させることが目的でした。
しかし、バイデン大統領が、民主主義を守るために国際的にも協力していこうと世界に呼びかけたことにより、民主主義と権威主義の間に、「敵」「味方」の政治的な国際対立の構図があるかのようになりました。
さらに状況を難しくしたのは、ロシアによるウクライナ侵攻です。ゼレンスキー大統領は、「ロシアという権威主義国によって我々民主主義国が侵略された」と強調しました。アメリカやNATO(北大西洋条約機構)、EU(欧州連合)も民主主義の旗の下に団結することを誓い、「民主主義対権威主義」の構図は、戦争を戦うための「イデオロギー」かのようになりました。グローバルサウスといわれる国々がウクライナ支援で連帯することを躊躇った理由の一端もここにあります。
本来、民主主義は、国内制度と価値の問題です。しかし、近年、政治や安全保障の文脈に絡めとられるようになり、対立の構図が強調されています。民主主義の制度と価値自体の問題にも目を向けるべきです。
市原 1990年代に「西洋的価値観はアジアには合わないのではないか」という議論が巻き起こりました。「我々の文化に外国の文化を押し付けるな」という考えは今でも根強くあるものだと思います。
実際に、非民主主義国に民主主義を根付かせようとしても、全てうまくいくということはありません。2003年のイラク戦争後に、イラクの民主化が思うように進まなかったことから見ても明らかです。
しかし、見落としてはならないことは、各社会の既存の政治構造は、その社会の既得権益層の利益を反映したものであるということです。