トランプ氏は、選挙期間中から「ウクライナ紛争は24時間で解決できる」と豪語していた。その解決はおそらく決して真の解決ではないだろうし、ましてウクライナ・ハマス・ヒズボラが望むことではないことは想像に難くない。当面の着地点が米露核兵器大国間の外交による事態の終結だと予想されるからだ。
中東と東欧の紛争のパワーポリティクス的同時調停は冷戦時代にすでに我々が経験したことだ。しかし実際にはそれも今日のグローバルな相互依存が深化し、複雑化する世界では容易ではない。
トランプ氏はウクライナ紛争の解決をウクライナの領土的譲歩を前提にして考えているといわれるし、ウクライナ支援を後退させるのも確実だともいわれている。他方で、ガザ紛争ではイスラエル軍が明年一月トランプ大統領就任までにガザ地域の占領を確定させ、イスラエル側に有利な交渉を進める条件作りを促しているとも伝えられる。
それはいずれも強者の解決の論理だ。パワーポリティックスの論理であり、紛争の本質的な解決ではない。しかし早期の事態収拾であることは確かだ。
両超大国間外交の歴史的アナロジー
実は、東欧と中東・パレスチナで紛争が同時進行し、同時期に終息したことがかつてあった。1956年のハンガリー動乱と第二次中東紛争、いわゆるスエズ危機という二つの事件だ。
ハンガリー動乱は、56年2月のフルシチョフ書記長によるかの有名なスターリン批判演説によってまずポーランドで民主化運動が暴徒化し、ハンガリーにも飛び火した。10月下旬にはブタペストで自由化を弾圧する政府への抗議デモ隊はついに治安当局と武力衝突するまでに至った。
ハンガリー政府は即座にソ連軍の出動を要請(第一次介入)、戒厳令を施行したが、この政府の対応は火に油を注ぐ結果を招き、民衆とソ連軍との間で戦闘が繰り広げられた。11月4日にはソ連軍はブタペストを武力制圧、改革派のイムレ・ナジ首相は殺された。
そのころ中東では、エジプトのナセル大統領がアスワン・ハイ・ダム建設のためスエズ運河会社の国有化を宣言したことにより、イスラエルとイギリス、フランスと対立。スエズ運河をめぐる紛争が勃発していた。
当時、今年と同じく大統領選挙戦真っ最中であったアメリカはこの紛争に介入しようとせず、ソ連の核兵器使用の脅しと、国連緊急総会でのアメリカの即時停戦・原状復帰提案がソ連の合意を得て圧倒的過半数で可決、事態は収拾の方向に向かった。