世界は冷戦の歴史から何を学んだのか
二つの紛争が同時終結した背景には、1950年代半ば当時、東西の両超大国のグリップが利いていた時代であったこと、中東情勢の混乱による第三次世界大戦の脅威が世界の指導者の脳裏に強くあった。それはアメリカから見ると、東欧はソ連の勢力圏で手が出せず、歴史的利害関係の錯綜する中東地域ではアメリカは公平政策で抑制的にならざるを得なかったからだ。
もちろん単に事件発生の地域的相似性だけで歴史の再現を語るのは早計だ。しかしスターリン以後の東欧諸国の自由化の奔流もウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟も、ロシアにとって自らの勢力圏への脅威に思われただろうというのは時代を超えた共通点だ。
またパレスチナ紛争は世界で最も根の深い歴史的ナショナリズムの対立だ。アメリカはイスラエルを支持しつつ、いずれに対しても抑制的にならざるをえない。
そうしたなかでロシア(ソ連)はゲームの主役だった。これも酷似している。ウクライナを焚きつけるか、説得するかは当初よりアメリカの仕事であった。
しかしトランプ政権のバンス副大統領はウクライナ支援には消極的で昨年来米国の議会でのウクライナ支援予算の決定に待ったをかけた張本人だ。そうした中でウクライナ支援に消極的になりつつあるドイツや、もともとプーチン寄りのハンガリーのオルバン首相と、方やウクライナ支援に積極的なフランス・ポーランド・バルト諸国との齟齬がある中で、ウクライナ支援のためにEUはどこまでその役割を果たすことができるだろうか。
他方でアラブ諸国を説得できるのは、アメリカではない。中国にその役が務まるだろうか。イスラエルとビズボラとの交戦が現実となった今では、イランの存在は無視できない。
トランプ政権では対イラン強硬派元イラン担当特別代表ブライアン・フック氏の国務省高官就任の可能性が大だ。核兵器開発疑惑のイランに対する制裁が続く中、アメリカにイランを説得する友好的なカードは少ないが、イランとの間で制裁緩和などの取引を通してイランをパレスチナに対する説得役として動かすことが果たしてできるであろうか。ロシアがスエズ危機の時のようにアラブ諸国説得に奔走する余裕があれば、大国間の妥協の先に二つの紛争をセットにした同時解決の道が浮かび上がってくるのかもしれない。
しかし時代は、米ソを中心とする両ブロックの陣営内の超大国のグリップがよく効いていた時代とは違う。冷戦が終了し、米国一極時代と耳目を集めた一時期をすぎ、中国・インド・グローバルサウスなどの台頭による多極化の国際秩序が形成されている。これらの勢力を無視することはできない。
解決への道のりは複雑で困難な道のりであることには変わりはない。それでも両軍事大国によるパワーポリティックス的な調停しかないのか。だとすれば、私たちは冷戦とポスト冷戦の歴史から一体何を学んできたのだろうか。