2024年12月6日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2014年2月10日

 副読本の著者は中国系ではない。この著者は、過去にべつの歴史テキストを執筆した際、その内容についてユダヤ系団体からクレームを受けたこともあると聞くが、著者がどうであれ、日本にとって頭の痛い点は、この副読本によって、前途有望な米国の若者たちに、「日本は残虐なことをした」「日本人は残虐」ということが、その根拠も薄弱なまま刷り込まれてしまったことにある。現に、河村たかし市長は、この副読本で学んだという日系人の若者から、「日本は中国で残虐なことをしたのでしょう?」という質問を受けたという。

 いま盛んに報じられる世界各地や国連でのやり合いや、韓国勢による「従軍慰安婦像」の建造はむろん大問題だが、何年も前から、私たちに見えないところで着々とこうした「米国人洗脳」工作が進められてきたことのほうを筆者はむしろ深刻に捉えている。

 ところで、「慰安婦」については日韓条約をもって解決済みというのが日本政府の基本的スタンスである。とはいえ90年代には、不適切な報道を絡めた日本の大手メディアと韓国側との連携による激しい攻勢に抗しきれず、「河野談話」が発せられ、「アジア女性基金(略称)」なる民間団体を通じた個人への「償い」を行なう羽目に陥り、国内外に取り返しのつかない誤ったメッセージを発信してしまった。

 日本はこの轍を2度と踏んではならない。それは単に日本のためだけでなく、日韓条約締結によってつくられた戦後秩序、国際秩序を自ら壊す行為につながるからだ。

「南京事件」の責任を引き受けて逝った「戦犯」

 南京事件に話を戻そう。戦後行われた「極東軍事裁判」において、南京虐殺の首謀者だとされ絞首刑に処せられた、松井石根大将(1878~1948)という人がいる。1937年、日中戦争が起こると、松井大将は、すでに予備役となっていたにもかかわらず、60歳を前にして現役に復帰させられ、その2カ月後、破竹の勢いで首都南京を攻略し入城、国民的スターとなった人物である。

 松井大将は、いわゆる「大アジア主義」の支持者であり、今でいう「親中派」であった。ただし、当時の「親中派」とは、中国には一切もの言わない今日の親中派とはかなり違う存在である。

 松井には、「親中派」らしいエピソードがいくつもある。南京戦に向かう途中、日本軍の戦死体が埋葬され、戦場清掃を済ませている様子を見て参謀を呼びつけ、「日本兵の死体だけを片付け、支那兵の戦死体を放置したままにするとは何ごとか」と叱りつけたという話。さらに、南京入城の翌年には復員し、熱海で隠遁生活に入ったが、このとき、日支双方の犠牲兵をどうやって弔うべきかを知人に相談し、結局、「日支双方の兵士の血が沁み込んでいる」上海の土を取り寄せて観音像を作り、両国の犠牲兵を合祀し、肺炎を患っていた身で毎朝自ら観音経をあげていたというエピソードもある。


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