2024年6月20日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2014年2月10日

 中国人をそのように身近に思い、軍規にもとくに厳しかったといわれる松井大将が、南京で数十万の一般の中国人を虐殺したというのもなかなか信じ難い話であるのだが、日本が戦争に敗れた後、松井大将は、極東国際軍事裁判において大罪人とされた。

 この南京虐殺と松井について、当時の中華民国のトップだった蒋介石がまったく反対の2つのことを言い残している。

 1970年代に、日本の新聞は、蒋介石が自身の回顧録のなかで南京事件について次のように書き残したと報じた。南京陥落からひと月以上後の1938年1月22日付の日記で、「倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている(中略)。いわゆる南京大虐殺である。戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。犠牲者は30万人とも40万人ともいわれ……」と記したというのである。

 ところが、1966年、日本の新聞記者ら5人が岸信介の名代として台湾を訪問した際、蒋介石は、松井石根の名前を聞くと顔色を変え、「南京に大虐殺などありはしない。松井閣下には申し訳ないことをした」と言ったとも伝えられている。

 これらのことと、拙稿前篇で紹介した国民党の史料等を合わせてみると、南京虐殺そのものが虚構と受け取れなくもない。が、仮に松井大将が冤罪であったとしたら、これは日本、中国というレベルでなく、世界中の歴史認識をひっくり返すほどのこととなり得る。

 むろん、当時の日本軍兵士のなかに不適切な行為に及んだ者もいた。捕虜への虐待、市民への暴行、殺害、掠奪もあったが、その種の行為に及んだ者の多くは軍法会議にかけられ処分された。こうした一部の暴挙を思い、松井は黙って刑に処せられたとの話も残る。

 戦勝国が主導する法廷で裁かれ、虐殺を指揮した人物との「汚名」を着て絞首刑台に上がる際、松井は、東条英機ら他の戦犯と共に、「天皇陛下と大日本帝国万歳」と三唱して逝った。この事実すら、いまの日本人のなかに知る人は少ない。

歴史認識とは何か?

 戦争とは、最低でも2国以上が関わって起こる事態である。戦後になって、「歴史」としてそれを振り返るとき、勝者は「栄光」と認識し、敗者は「屈辱」と受け取る。つまり、両者の歴史認識が自然に一致することはほとんどあり得ず、仮にぴたりと一致しているとすれば、それは勝者の側の歴史認識が敗者を圧倒したからに過ぎない。


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