喜八は戦前に入社を果たしていた東宝に復帰する。助監督を15年間務めて、監督デビューは58年、34歳だった。
その後、『日本でいちばん長い日』(67年)によって、監督としての地位を固める。敗戦に至る8月14日から15日にかけて、天皇や陸海軍、重臣たちがどのような行動をとったのか。緊迫感あふれる長編大作である。
昭和天皇があらかじめ終戦の詔勅を録音した、いわゆる「玉音放送」の録音盤をめぐって、陸軍の一部将校が動いたのに対して、現在のNHKが放送にこぎつける。喜八の代表作のひとつである。
〝無性〟に撮りたくなった作品
同作は大ヒットするとともに、評価も高かった。ところが、喜八は完成の直後から別の作品を猛烈に撮りたくなる。これもまた喜八の代表作となる『肉弾』(68年)である。『日本のいちばん長い日』の作品を念頭においた『肉弾』の創作メモが残っている。
「事実は再現し得ても、事実をみつめる私(国民)は主調し得たのか。(『日本の』)が完成した直後、私は『無性』に撮りたくなった。『日本の』に欠落したモノを。『肉弾』は、岡本喜八そのものである」
主人公に名前はない。「あいつ」と呼ばれる兵士は、ドラム缶に乗り込んでその下に取り付けられた魚雷で敵艦を撃沈することを命じられる。
「あいつ」の生年月日は、喜八と同じに設定されている。肉弾つまり人間魚雷と化すまでに「あいつ」は、戦闘によって両手を失った老人の排尿を手伝ったり、美少女と出会って関係を結んだりする。
筆者自身の経験を告白するのはいささか照れ臭いのだが、実は『肉弾』が上映期間中に喜八作品を観たのが最初である。喜八は東宝に撮影の資金を出してくれるように頼んだが、断られる。喜八を支援したのは、斬新な映画を支援する映画会社・日本アート・シアター・ギルド(ATG)だった。製作費は1000万円。ATGが半分、残りを喜八一家が負担した。
映画好きの少年の間では、低予算ながら優れたATG作品を観るのはちょっと背伸びをした感じがした。『肉弾』では、オーディションによって選ばれた少女役の大谷直子が大胆なヌードシーンを演じる、ということもあって映画館のチケットを握りしめた。
『肉弾』のラストシーンは、「あいつ」の発射した魚雷がそのまま水中に没してしまい、ドラム缶に乗ったまま骸骨となって、68年盛夏の水着姿の女性が海岸一面に広がる浜辺に近づいていく。「あいつ」の骸骨は「馬鹿野郎!馬鹿野郎!馬鹿野郎…」と叫んで幕である。