ところが、この増え続けていた留学生数に異変が起きている。14万1774人と過去最高を記録した2010年をピークに2年連続で減少したのだ。中国と韓国からの留学生が減ったことが大きい。尖閣諸島を巡って日中の対立が深刻化した後の13年5月の数値も近く発表されるが、おそらくこの傾向は変わりそうにない。
一方、さらに深刻なのが、日本から海外に行く日本人留学生が激減していることだ。文科省がまとめた資料では、04年の8万2945人をピークに、最新のデータである10年の5万8060人まで6年連続で減少している。
安倍晋三首相が推進するアベノミクスでは、昨年6月に閣議決定した「成長戦略」の中に「2020年までに留学生を倍増する」という成果目標を盛り込んでいる。大学生などの留学者数を12万人にしようというのだ。そのために、日本の初等中等教育から大学のあり方まで大きく見直すとしている。これに呼応する形で、20年までに日米間の留学生をともに倍増させるといった計画や、日本の国立大学の受け入れ留学生数を20年までに倍増させるといった方針が次々と打ち出されている。
外交の背後に民間力 遣欧使節に学ぶこと
今年1月、超党派の日米国会議員連盟が米国ワシントンを訪問した。ほとんど切れてしまった日米の議員同士の人間関係を復活させる狙いだった。当初は野党議員も参加予定だったが、結局、議連会長の中曽根弘文・元外相と塩崎恭久・元官房長官、小坂憲次・元文科相の3人での訪米となった。「予想以上に多くの上院議員らに会うことができ、今後交流を深めるきっかけになった」と塩崎議員は言う。
しばしば「外交は票にならない」と言われる。とくに小選挙区制になって議員の当落が定まらなくなると、外国に行く暇があるなら選挙区へ帰るという国会議員が増えた。日米だけでなく、日中や日韓の議員同士のパイプはかつてないほどに細っている。
日米の国会議員を結び付ける役割を長年担ってきたのは、実は民間人だった。財団法人日本国際交流センターの理事長だった山本正氏。冷戦時代から日本と国際社会の橋渡し役を務め、「下田会議」などを開催してきた。与野党問わず議員の交流を助けたほか、民間企業の経営者同士の仲立ちもした。12年に亡くなったが、山本氏のような「民間外交」を担う民間人がいなくなったことを惜しむ声は多い。