今年2月、日本とスイスが国交を樹立して150周年を迎えた。幕末以来の交流を支えてきたのは、民間人の力と言っても過言ではない。しかし、今、日本人留学生と外国人留学生は、ともに減少傾向にある。留学生を増やし、国と国を結びつける「民間外交」の活性化を。
スイスと日本が国交を樹立して今年で150年になる。スイスからの遣日使節団が江戸幕府との10カ月におよぶ交渉の末に「日瑞修好通商条約」を結んだのは1864年2月6日のこと。150年後の今年2月6日には東京・六本木ヒルズで公式開会イベントが開催されたほか、記念切手も発行された。今年1年、美術展やコンサートなど様々な記念イベントが開かれる。
幕末の文久3年(1863年)に遣日使節の団長としてやってきたのは、エメ・アンベール氏。職業外交官ではなく、スイスの時計協会の会長を務める民間人だった。帰国後には10カ月の滞在中の見聞録を挿絵と共に出版、当時の欧州での日本ブームに一役買った。日本語訳が『絵で見る幕末日本』として講談社学術文庫に収められている。
民間人が首席全権だったのは貿易が主目的だったからに他ならない。日本に時計や機械などを売る一方で、日本からは生糸などを買い付ける。使節団に加わっていた24歳のカスパー・ブレンワルドは条約締結後も、そのまま開港地の横浜に留まり、貿易に本腰を入れる。1865年にシイベル・ブレンワルド商会を設立したが、幕末創業のこの会社は社名変更や合併を経て、今もDKSHジャパンとして活動を続けている。同社の社屋に駐日スイス領事館が置かれたこともあった。ブレンワルド自身も総領事を務めている。
150年にわたるスイスと日本の関係は、民間が切り拓き、民間が支えてきたと言ってもよい。今でも両国間には政治的な懸案はないが、日本からスイスを訪れる観光客は多く、スイスは日本人にとって憧れの地。スイス人にも日本贔屓が少なくない。資源小国にもかかわらず勤勉さと教育の高さで世界有数の経済力を身に付けたことなど共通点が少なくないことも、親日派、親スイス派を生んでいる要因だろう。
外交は国と国との付き合いだ。だが、その基本に人と人とのつながりがあることは言うまでもない。国民同士の交流があって国同士も親密になる。民間の関係強化が不可欠なのだ。
人と人とのつながりを深める最も端的な方法は、留学生の交換である。若く柔軟な青年のうちに相手の国に住めば、多くの場合、その国のファンになる。彼ら彼女らが様々な世界で重要な役割を担うようになれば、国と国との架け橋となっていく。
日本学生支援機構の調査によると、12年5月現在で日本の大学や短大、専修学校に在籍する留学生は13万7756人。2000年には6万4000人だったから、12年で2倍以上になった。政府が積極的に留学生を受け入れていることもあるが、アジア諸国を中心に経済が成長し、豊かになった人たちが子弟を日本に送り出すようになったことが大きい。