「皆のため」を実現すべく、茶花さんも参画してオープンするのが焼き肉店「ライクイット」だ。代表になったのは、同じく青年部に所属し、建具店を営む塩士良一さん(49歳)。なぜ、焼き肉店なのか。
「震災後、ふとした時に息子が『焼き肉食べたい』と言ったんです。輪島は居酒屋のようなお店はあるんですが、家族や気の置けない仲間たちが打ち上げで行けるようなお店が少なかったんです」
そんな「人が集まれる場」を輪島につくりたいという思いに共感した青年部のメンバーから資金援助を受けた。以前も焼き肉店だったお店を居抜きで引き継ぎ、改装して商売を始める。内装を手がけたのは、前出の茶花さんだ。お店は60人ほど入れる大きさだ。
「働きたい人は誰でも働くことができる場所にして、輪島の雇用創出にも貢献したいですね」
昨年、プロ野球ドラフト会議で塩士さんの息子、暖さんは投手としてソフトバンクから育成指名を受けた。これから福岡方面に応援に行くことになるなど、ますます忙しくなりそうだ。
「輪島が単に昔に戻ることに意味はないと思います。ピンチはチャンスと捉えて仲間たちと話し合っていきたいです」
「頑張ろう」というのは簡単
ごちゃまるクリニック/小浦友行さん
「外来ができないクリニックなんて、聞いたことありますか? 大変なんてレベルではなく、虚無感に苛まれています」
輪島市の診療所「ごちゃまるクリニック」院長の小浦友行さん(45歳)は小誌記者にそう問いかけた。
小浦さんに初めて会ったのは、2024年5月。輪島の復興に向けた熱い思いを快活な口ぶりで語っていたのが印象的だった。しかし、半年ぶりに対面した小浦さんの表情は浮かなかった。
僻地の医療に応えられる医者になりたい─。その思いで総合診療専門医として、富山大学や穴水公立病院で研鑽を積んだ小浦さんは、22年12月に故郷である輪島市の中心部に「ごちゃまるクリニック」を開業した。
初期投資分の返済が始まろうとするさなかで発生したのが、昨年1月の能登半島地震だった。
「あのときは避難所や在宅避難する患者さんの医療ニーズにこたえるべく、がむしゃらに働いていたら、あっという間に月日が流れていました」
町が復興にむけて少しずつ歩みを進め、クリニックの経営もようやく黒字転換が迫るタイミングで発生したのが、9月の豪雨災害だった。クリニックは高さ1メートル近くの床上浸水の影響で、今も復旧の見込みが立っていない。
「一度得たものを全て奪われたような気がして、完全に心がへし折られました。決して小さな事業ではない。クリニックを続けていくリスクの方が高いです。閉業して、勤務医に戻ることも頭をよぎりました」
それでも、知人に助言され、クラウドファンディングを実施。全国から3000万円以上が寄せられた。
