なんちゃってコンサルはいらない
田舎バックパッカーハウス/中川生馬さん
能登の復興を支えるのは地元住民だけではない。移住者も動き始めている。
「構想を掲げて事業が終わったら『はい、さよなら』という、なんちゃってコンサルにお金をつける従来のやり方ではなく、地元の人たちが『やりたい』と思うことを支援する復興の形にしていくべきです」
こう話すのは、2013年に神奈川県から穴水町に移住した中川生馬さん(46歳)である。
中川さんの経歴は異色だ。鎌倉育ちだが、父親のすすめもあり、中学卒業後は米国西海岸で自然豊かなオレゴン州の高校、大学で学んだ。
「慣れない英語と勉強は大変でしたが、日本と違い、自分の意見を尊重してくれるアメリカの教育にはとても共感しましたね」
帰国後はPR会社の共同ピーアールを経て、ソニーに転職し、広報担当として多忙な日々を過ごした。
「様々な経験ができ、会社には感謝しています。でも、毎朝起きて、満員電車に揺られて東京へ向かい、夜遅く家に帰って、ご飯を食べて寝る生活を繰り返すうちに、ふと思ったんです。これでいいのかな、と」
31歳でソニーをやめ、10年10月からバックパッカーとして全国を旅した。最初の目的地が能登半島だった。
「能登いいな、って思いました。里海里山にもひかれましたし、山々が低い。湾も穏やかで、オレゴン・コーストに似てるなと思ったんです」
12年5月からはバックパッカーからキャンピングカーに切り替えて、バンライフをしながら、妻の結花子さん(43歳)と共に全国を旅した。
「小さい頃から『田舎には何もない』と教えられてきましたが、地元の人たちと交流して田舎を深く知ると、日本には様々な暮らし方があり、生き方にも多様性があることを知りました。自然と暮らすのもありだなと思ったんです」
そして移住を決断。現在では家族も増え、2人の子どもたちも自然の中での暮らしを楽しんでいるという。
中川さんは現在、横浜にあるキャンピングカーのベンチャー企業Carstayなどの広報の仕事をリモートでしながら、車中泊施設「田舎バックパッカーハウス」を営んでいる。大規模半壊になったが、震災後は全国からボランティアなど、キャンピングカーで訪れる人たちに愛用されている。
「将来、〝動く家〟が当たり前の時代がやってくると思っています。そうなれば、不動産ではなく、車中泊という『可動産』スタイルで、能登の田舎暮らしを楽しめるようになる。しかも、キャンピングカーは災害時にも大いに活用できます」
中川さんは現在の拠点を、多様な旅人が集う場として整備し、復興に役立てたいという大きな夢がある。
「キャンピングカーを住居や宿泊施設の代わりとして活用することはもちろん、キッチンカーなどにも出店してもらい、スピーディーかつ持続可能な形で復興に寄与していくという構想です。地域の人たちからも『盛り上げてほしい』と言われています。こうした構想に共感してくれる人たちとともに、復興を前に進めていきたいですね」
