かつてとは違う海外挑戦の道筋
日本の高校生が相次いでマイナーから米球界に挑戦した時期は1990年代後半に最初のピークを迎えた。当時は野茂英雄氏がメジャーの扉を本格的に切り開き、日本の高校を中退して渡米したマック鈴木氏がメジャー昇格を成し遂げた。競技は違うが、サッカーなどでも若い選手たちが、海外のトップリーグへはい上がることを目指して過酷な環境でもプレーする道を選択肢に入れた時期とも重なる。
ただ、当時の日米球界間には“紳士協定”があり、メジャー球団がマイナー契約を結んだ高校生たちは、日本のプロ野球のドラフト会議で指名されなかった選手だった。こうしたこともあり、渡米後のメジャーの壁は厚く、頭角を現すことはできなかった。また、高校生に限らず、NPBを経ずにメジャーデビューを果たしたのは、マック鈴木氏、立教大学出身でNPB球団のドラフト1位候補だった多田野数人氏、同じくドラフト上位候補ながら渡米を決断した田澤純一氏の3人のみだ。
米国では、プレー環境だけではなく、言葉の壁や文化・生活などの違いもあり、岩手・花巻東高校時代の菊池雄星投手(エンゼルス)や大谷翔平選手(ドジャース)も思い悩んだ末にNPB経由でのメジャー移籍の道を選択した。日本ハムが、高卒即メジャーを視野に入れていた大谷選手を説き伏せることができたのは、「夢への道しるべ」と題したレポートで、日本球界を経てメジャーへ挑戦するケースと「即メジャー」のケースを丁寧に比較して提示した上で、将来的なメジャー挑戦を後押しする姿勢を見せたことにもあった。
一方で、森井選手は野球に打ち込みながら英語の勉強もこなすなど、渡米の準備も進めてきた。マイナー契約とはいえ、日本のドラフト上位候補の高校生による「直メジャー」という新たな歴史を作りたいとの思いも強いとされる。
変わってきたマイナーの“厳しい”環境
メジャー9球団が獲得に乗り出す中で、契約を結んだアスレチックスは昨季、ア・リーグ西地区で4位。資金面に恵まれず、低予算で編成するが、それだけ若手選手にとっては強豪チームよりもメジャー昇格のチャンスも大きい。2028年からは本拠地をラスベガスへ移転させる予定だ。
では、マイナーリーグはどういう環境になるか。各球団はメジャーを頂点として、マイナーは一つ下の3Aから2A、複数の1A、ルーキーリーグとピラミッドが形成される。新人選手は通常、ルーキーリーグでプレーし、実戦経験を積んでいく。メジャーが「ステーキリーグ」と呼ばれるのに対し、マイナーは「ハンバーガーリーグ」とも呼ばれ、下部のリーグになるほど、長時間のバス移動などに加え、食生活でも厳しい環境というイメージが強かった。
ただし、メジャーの春季キャンプも行われるフロリダやアリゾナの施設には、マイナー専用の天然芝のグラウンドなども備わる。ポスティングシステムでドジャースへ移籍した佐々木朗希投手の移籍先の候補に挙がっていたブルージェイズは21年、フロリダのキャンプ地・ダンイーデンに総工費約1億ドルをかけて、メジャー最高峰の選手育成施設を完成させている。ルーキーリーグは米国のドラフト会議を待って6~9月にキャンプ地で試合が組まれるため、新人選手たちは恵まれた環境でプレーできる。