2025年12月6日(土)

災害大国を生きる

2025年1月23日

 災害にあっては、「災害弱者」が発生する。高齢者、障害者、傷病者、妊産婦、乳幼児、日本語の不自由な外国人などがそうである。『ひとりぼっちの政一』の登場人物たちも該当するだろう。

 災害弱者は、情報弱者でもある。行政は、インターネットを通した情報発信を強化しているという。ところが、高齢者には機器を上手に使えない人も多い。使えても、どこにアクセスすれば情報が得られるかわからない。さらには、行政発の文書に見られる独特の文体は、暗号のように難解に感じられるであろう。

「こころのケア」の前にニーズの聴き取りを

 被災者に必要な支援として、メディアは「こころのケア」を謳いがちである。報道番組では、避難所の様子を映す。震災で家族を亡くし、悲嘆に暮れる人たちがいる。ボランティアが訪れる。高齢女性のそばに座り、話を聴き、女性は「わかってもらえた」と涙を流す。

 こうして、メディアは、感動の物語を演出して、「寄り添いが必要」と説く。しかし、これでは、被災者を同情と憐憫の道具にして、ニュースバリューを高めているように思えてしまう。

 真に求められることは、「こころのケア」よりも、(からだのケアなど、様々なものを含めた)「ケアマネジメント」の方である。つまり、被災者ごとに異なるニーズを聴き取っていくということである。それは、精神医学の議論よりも優先されるべきである。例外として、統合失調症、認知症、てんかんを持つ人へのケアは必要だが、これらは「お薬手帳」さえ入手できれば、専門家なら察しがつくはずである。

 「こころ」の前に、まずは、立てるか、歩けるか、食べられるか、トイレに行けるか、といった生きていくうえで最低限必要となる行動に問題がないかを把握すべきである。

 次いで、日常生活を自力で送れるかという観点から、スマホを使えるか、インターネットを利用できるか。それが無理なら、電話は使えるか。金銭管理はできるか、役所の手続きは自力でできるかなどである。

 さらには家族と同居か、単身者かなど、周囲とのつながりに加えて、持病はあるか、持参薬はあるか、残薬は何日分あるか。被災している場合、通帳、印鑑、健康保険証、介護保険証、障害者手帳、免許証、年金証書、外国人ならパスポートなどの貴重品は管理できているか、それとも、すでに紛失しているか……などである。

 生活習慣上の問題はないかも重要な要素だろう。極端な運動不足、昼夜逆転の不安定な睡眠リズム、アルコール・睡眠薬・鎮痛薬などへの依存はないかによっても、必要なケアは異なってくる。ただ、こうした被災者のニーズは被災者ごとに異なるうえ、時々刻々と変わるため、聴き取りは、繰り返し行われなければならない。

 奥能登の場合、震災から1年、豪雨から、4カ月が経過しており、保健活動としては「復興支援期」に相当する。誰と、どこに、どのように避難しているか。あるいは、すでに自宅に戻っているか。本人の住む地域の医療・福祉資源は復興しているか、それともまだ混乱の渦中にあるか。本人をとりまく環境の変化とともに、本人の健康状態、経済状態がどう変化しているか。

 また、発災から時間を経る中で、本人と周囲との間で紛争はないか。法律家の介入は必要ないか。障害が悪化していて、福祉用具を必要とする状態になっていないかも考慮したい。


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