支援への警戒感
日本について聞くと……
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、国外に逃れた難民は約520万人、国内避難民が約680万人。アサド政権が崩壊した今、逃れた人たちの故郷への帰還が大きな課題となっている。政権崩壊から2月27日までにすでに約30万人がシリアに戻っており、25年前半には最大100万人の帰還が見込まれている。
難民の受け入れ国の間では早期帰還を求める声が強い。難民排斥を訴える極右勢力が勢いを増す欧州では、ドイツや英国などが相次いでシリア難民の審査を一時停止した。隣国レバノンはUNHCRに集団帰還を手配するよう要請し、ヨルダンではUNHCRがバスによる難民送還を始めた。
だが、シリアの国土は荒廃し、経済も疲弊し、国民の9割が貧困ライン以下で暮らしている。電力は計画停電で1日4時間しか供給されず、上下水道や農業用水は不十分で、通信も安定していない。難民の多くは、シリアへの帰還後に生活が成り立つのかどうかに不安を抱えている。
レバノンのベイルート近郊にあるシリア難民キャンプで暮らすごみ収集業マフムード・ダマシュ(39歳)は、「水とパンがあるならもちろん帰りたい。でも家もないし、八方ふさがりなんだ」と踏ん切りがつかない胸の内を明かした。
社会を安定させ、帰還しやすい環境を整えるには国際社会の支えが不可欠で、国連人道問題調整事務所(OCHA)は25年第1四半期分の緊急人道支援として12億ドル(約1850億円)の拠出を呼びかける。しかし、ウクライナとガザでの戦争に疲弊する国際社会に余力は乏しく、24年分は要請額の3分の1しか集まらなかった。欧米などの経済制裁も一部緩和にとどまっている。
一方、外国に翻弄され続けてきたシリアの人々の間には、支援への警戒感やあきらめもある。
難民として逃れたトルコでタイヤ販売店を経営するワリード・アルファラジュ(37歳)は、12年ぶりに帰還してすぐ、病院に寄付を申し出た。「再建は自分たちの手でしたほうがいい。手を差し伸べようとする国は対価を求めてくるから」と支援の名を借りた介入に警戒感を示す。それでも、日本について聞くと「条件を押し付けることのない、最も助けてほしい国です。破壊された病院を再建してほしい」と語った。
カテルバトナの反体制派リーダー、モハンマド・バロール(54歳)も「支援を待っていたら先に進めないので、自力でやっていきます。国際社会がこれまでシリアに対してフェアだったことはなく、信用できません」と言いつつ、日本には「戦禍から立ち直って世界最高になった国です。日本企業にぜひ進出してほしい」と期待を寄せた。
日本は内戦に軍事介入していない。しかも、内戦前は病院や水道、衛生などインフラ分野で、内戦中もシリア難民への支援に官民挙げて取り組んできた日本への敬意や親しみは強い。大国の利害が絡み合ったシリアだからこそ、日本が果たせる役割は大きい、と筆者は感じた。
だが、まだ戦火は完全にやんだわけではない。北部ではトルコが支援する武装勢力シリア国民軍(SNA)と、米国が支援するクルド人主体の武装勢力シリア民主軍(SDF)の戦闘が続き、散発的な武装勢力間の衝突も各地で相次ぐ。権力の空白に乗じたISの復興を警戒する米軍は、関連施設を空爆した。
HTSが主導する暫定政権はHTSを含む全ての武装勢力を解散して国防省のもとに統合する方針だが、北東部のクルド人勢力や、南部ダラアやスウェイダにはHTSへの不信感が強い。地雷や不発弾も各地に残り、UNHCRによると昨年11月以降、136の地雷原が新たに見つかり、少なくとも51人が死亡した。
前政権の屋台骨を担ってきたアラウィ派への報復や、少数派への迫害の懸念もある。
ソーシャルメディア上ではアラウィ派の強制失踪や処刑を訴える投稿が相次ぎ、在英NGOシリア人権監視団は1月28日、1月に入って少なくとも204人が裁判なしでの処刑などで殺害されたと伝えた。
ダマスカスのホテルで働くアラウィ派の女性(48歳)は匿名を条件に取材に応じ、「3人の子どもたちが心配で学校には行かせていません。アラウィ派のほとんどの家庭がそうです。農家は怖がって畑にもいけません。夫の年金も止まりました。どうせ死ぬなら、尊厳をもって死にたい」と思い詰めた表情で話した。