2025年4月17日(木)

WEDGE REPORT

2025年3月3日

化学兵器の脅威
医療の困難も

 ダマスカスから東に向かうと、幹線道路を過ぎたとたんに骨組みや壁の一部だけが残る建物ばかりになった。人影はほとんどなく、ゴーストタウンそのものだ。政権軍と反体制派の支配地域の境界にあたり、戦闘の最前線となっていたためだ。その先の東グータ地区カテルバトナは、こうした最前線の住民らが逃げ込み、一時は人口が5倍の5万人にまで膨らんだ。政権軍に13年から完全封鎖され、住民は約5年にわたって一帯に閉じ込められた。

 主婦ムナ・バロール(49歳)に当時の状況を尋ねると、「いつも逃げ回って、深夜に地下シェルターに隠れていました。食料もなくなり、家畜用の飼料を食べていました」と目を潤ませた。9歳だった娘を含め、親族約200人のうち20人が命を落とした。医薬品不足や栄養失調で死んだ人が大勢いるという。

 「ここで犠牲者がいなかった家なんてありません」

 封鎖下の13年8月21日にはグータ地区に化学兵器が使われ、NGOシリア人権ネットワークの報告書によると1100人以上が死亡したとされる。国連の調査報告書は、使用者については言及しなかったものの、神経ガスサリンの「明確で確固たる証拠」が収集されたとし、「比較的大規模に化学兵器が使用された」と結論付けた。

 治療にあたった医師ハーリド・ダバースは「患者は呼吸困難に陥り、眼球は動いておらず、子どもたちはけいれんしていました。ほとんどの医者は化学兵器に対処した経験がなく、医療機器もありませんでした。できる限りのことはしましたが、多くの命が失われました」と振り返る。自身もその後逮捕されて収容所に連行され、投獄された。

 ハーリドらが患者約1000人を受け入れたアルファテハ病院は、廃虚になっていた。政権軍に何度も空爆を受けて天井や壁は崩れ、18年に封鎖が解かれた後にはMRIやCTスキャンなどの医療機器も持ち出されたという。地下には高さ1メートル、幅50センチ・メートルほどのトンネルが掘られていた。別の病院や反体制派の拠点などを結んで総延長は数キロ・メートルに及び、空爆や化学兵器に備えるシェルターの役割も果たしていたという。

病院の地下につくられたトンネル=2025年1月28日、ダマスカス郊外カテルバトナ
壊滅した病院は子どもたちの遊び場になっていた=2025年1月28日、ダマスカス郊外カテルバトナ

 

 被害を免れた施設も劣化が著しい。地域医療の拠点となっている首都のダマスカス病院を訪ねると、腎不全の患者の生命維持に欠かせない人工透析装置20台のうち11台が壊れており、緊急治療室では画面が割れた心電図が使われていた。長年の経済制裁で無停電電源装置も手に入らないという。医師ラシャ・アタヤ(25歳)は「15年以上前の機器ばかりで、一日500人以上の患者に対応するのは困難です」と支援を訴えた。


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