兵役を選んだ市民は、最低6カ月間の基礎教練を受ける。関心がある者は、教練期間を23カ月まで延長することができる。これらの教練を終えた市民は予備役兵士として登録される。予備役兵士は、年1回任意で教練に参加できる。
兵役義務法によると、突然ドイツが外国軍によって攻撃され、連邦議会が議員の3分の2以上の賛成に基づいて「緊急防衛事態」を宣言した場合、政府は予備役兵士を招集することができる。この緊急防衛事態には、実際にドイツが攻撃された場合だけではなく、攻撃が目前に迫っていると判断される場合も含まれる。ドイツ連邦軍の兵力は、現在約18万人。政府は約2万人増やすことを目標にしている。
つまり現在の段階でドイツ政府が考えているのは、「兵士になることが可能な市民が何人いるか」を把握するためのデータの収集と登録である。ただしこの措置が、戦争が勃発した時に市民を招集するための第一歩であることは間違いない。
兵役義務復活を阻む課題と
地に落ちた米国への信頼
だが、兵役義務を短期的に復活することは困難とみられている。ハンブルクの連邦軍大学のセヴェリン・プライヤー研究員は、「現在の連邦軍には多数の新兵を訓練する教官の数が不足している他、兵舎の状態も劣悪だ。まずこうしたインフラを改善しないと、多数の市民を兵役に就かせることは不可能だ」と指摘する。つまり次期政権が兵役義務を復活させても、直ちに兵士の数を増やすことは難しい。
また、若者の間では兵役義務に消極的な声が強い。24年5月にドイツの公共放送局・中部ドイツ放送(MDR)が公表した世論調査(約2万5000人を対象)の結果によると、回答者の61%が兵役義務の復活に賛成すると答えた。しかし有事に戦闘任務に就かされる可能性が高い16~29歳の回答者の間では、賛成者の比率が32%に留まり、次頁図から読み取れるように、兵役義務についての反応に世代間格差がはっきり表れている。
東西冷戦時代に、ドイツ人の間で軍隊生活は不評だった。筆者は1980年代に、兵役を経験した若者たちから、「上官が意地悪で、雪の中で野営させられて風邪が悪化したのに、医者の手当てを受けられなかった」などの不平・不満を聞いた。また、イスラエルでは多くの市民から「軍隊生活は楽しかった」と聞いた一方、ドイツではそうした声を聞いたことがない。
人を殺すための訓練を受けたくないので、介護施設で働いたあるドイツ人は「軍の係官がなかなか私の主張を受け入れなかった。3カ月近く議論を続けて、ようやく介護施設での勤務を認められた」と語っていた。やはり兵役を拒否して、在宅介護に行ったドイツ人は、お年寄りから「私の息子はスターリングラードで戦死した。兵役を拒否するような卑怯者に介護されたくない」と罵倒されて、追い返されたという。
市民の間に根強い「平和主義」も、政府にとってハードルだ。第二次世界大戦後の西ドイツでは、政府と社会、学界が一体となってナチス・ドイツによる侵略戦争や残虐行為について市民に詳しく伝える「過去との対決」と呼ばれる作業を行ってきた。
このため市民には戦争に反対し、平和を愛好する思想が深く浸透している。将来、政府が兵役に就く市民の数を増やすには、「祖国を守るためには、ウクライナ人たちのように武器を取って敵と戦う必要がある」という思想を市民の間に根付かせる必要がある。たとえば緑の党のヨシュカ・フィッシャー元外務大臣は、「私は若い頃兵役義務を拒否するべきだと考えていた。しかし今では、そうした考えが誤りだったと思っている」と語っている。
