2025年7月13日(日)

「教えない」から学びが育つ

2025年6月20日

子どもたちだけではなく、教員や保護者、地域の人々も一緒になって学び合い、失敗したらやり直す。そんな大空小学校(大阪)を作り上げた木村泰子さんの根底にはどんな思いがあるのでしょうか。いつも刺激的な言葉をもらえる泰子さんとの対話をお届けします。誰も取り残すことなく、子どもたち一人ひとりを大切にする学校作りについて、一緒に考えていきましょう(本記事は『「教えない」から学びが育つ』(山本崇雄、ウェッジ)から一部抜粋、編集しています)。

*前編はこちら 

(Milatas/gettyimages)

木村:崇雄さんの「教えない授業」は、とてもインパクトの強い言葉だと思います。私にとって「教えない授業」は何の違和感もなく入ってくる言葉でしたが、崇雄さんが初めて本を出した時には、日本の教育現場にまだまだ古い考えの人がたくさんいたはず。崇雄さん自身は教えない授業を受けて体感したことがあったんですか?

山本:いえ、僕は子ども時代から従来型の教える授業しか受けたことはありませんでした。

木村:それなのに、なぜ教えない授業の概念にたどり着いたんでしょうか。

山本:きっかけは東日本大震災でした。震災によって先生とのつながりを失い、孤立している子どもたちがいると知った時に、子どもたち自身が学び合うことが必要だと考えたんです。加えて、非常時に一人ひとりの教員にできることは限られているとも感じましたね。だからこそ子どもたち自身が自律的に学ぶ力を身に付けるべきだと思っています。

木村:私自身は20歳の時に、その考えに触れることができたんです。教育実習で2週間だけ、教えない授業を受けたことがあるんですよ。

山本:教育実習ですか?

木村:はい。私が教育実習を受けた1970年当時は、教員がどれだけ子どもたちに正しい知識をインプットし、ペーパーテストで正確にアウトプットさせるかばかりを考えていました。そんな時代に、私が教育実習で配属された小学校では衝撃的な授業が行われていました。正確には私に付いてくださった5年2組の担任の先生が衝撃的だったんです。

 その先生の授業は変わっていて、最初に黒板にその日の課題を書いた後は、ほとんど何も発話しません。先生が課題を書いた瞬間に子どもたちがわーっと話し始め、課題について一緒に考えます。たまに分からないことがあれば「先生、先生」と声をかける。そして授業が終わりの時間にさしかかると先生が「そろそろまとめに入ろうか」と声をかけ、子どもたちがその日の学びをまとめて終わるんです。

山本:すごい。1970年当時にそんな授業を実践する先生がいたんですね。

木村:その小学校で教えない授業を体感したことは本当に大きな経験でした。だけど私自身は何も教えてもらえないんですよ。その5年2組の担任の先生は2週間、私に何一つ教えてくれませんでした。周りの教育実習生と担当教員は一緒に指導案を作るなどしていて、「いいなあ」と思いながら見ていたものです。

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