フエゴ諸島の海岸で暮らす最後の1人の先住民
ブエノスアイレスからプエルト・ナタレスまで、長距離夜行バスを乗り継いで累計2500キロメートル南下した。道中常々気になっていたのは、パタゴニアにおける現代の先住民の暮らしぶりである。太古の昔、アジア大陸からアリューシャン列島を渡り、南北アメリカ大陸の南端に至った我々モンゴロイドの子孫はどんな人たちなのか。先住民の集落なり居留地なりがどこかにあるだろうと期待していた。
筆者は米国最大の先住民居留地である、ナバホ族居留地(ナバホ・ネイション)やマオリ人が暮すニュージーランド南島を訪れ、現代社会における先住民の暮らしぶりに興味を持っていた。拙稿ご参照:『米国先住民が居留地の外で生きられない歴史的背景』2017/07/02掲載、『ニュージーランドの先住民政策、なぜ多様性国家を目指すのか』2023/06/11掲載。
2月26日。プエルト・ナタレスの旅行代理店で1人留守番していた女性に、先住民について聞いてみた。アルゼンチンでは米国と異なり、先住民を強制して指定した地域に移住させるような政策は採らなかったという。それゆえ居留地(reserva de indigenas)は存在しないと。先住民の集落も、プエルト・ナタレス周辺では聞いたことがないという。
彼女の説明によると、19世紀後半から多数の白人が移住してパタゴニア経済が発展した。20世紀になると、徐々に先住民は仕事を求めて都市や町に移住した結果、現在では大半が白人社会に同化しているという。発展から取り残されたフエゴ諸島には、先住民が昔ながらの暮らしをしている集落があった。しかし、人口が減り続け、現在では先住民で最後の1人となった老人が住んでいるだけとのこと。先住民の歴史について知りたければ、町の歴史博物館に行くよう勧められた。
白人植民者がパタゴニアを支配する以前の先住民の生活
歴史博物館では、19世紀中葉に撮影された写真で、パタゴニア先住民の日常生活が紹介されていた。当時パタゴニア南部の海岸地帯では、先住民は1家族か、2家族単位でカヌーにより、季節ごとに移動しながら、漁業・狩猟・木の実の採取をして暮らしていたようだ。毛皮の衣服を身に着け、毛皮を張り合わせたテントで寝起きしていた。
同時期にパタゴニアの北部・中部の草原地帯では先住民は少し大きな共同体をつくり、狩猟・採取を生業としていたようだ。
