1952年に33歳で亡くなった美貌の大統領夫人“エビータ”
ふつうの日本人にとり“アルゼンチンの世界的有名人”と言えば誰を挙げるだろうか。おそらくサッカーの英雄“マラドーナ”と“メッシ、そして革命家“チェ・ゲバラ”ではないだろうか。欧米世界で同様の調査をしたら間違いなく上記3人に加え“エビータ”(エバ・ペロン大統領夫人)がベスト4であろう。
筆者がニューヨークに住んでいた1980年代初めのブロードウェイではエビータの波乱万丈の生涯を描いたミュージカル“エビータ”がロングランしていた。1996年制作の歌手のマドンナが主演したハリウッド映画“エビータ”が日本でも上映されマドンナの歌った“アルゼンチンよ、泣かないで”は世界的大ヒットとなったので、あるいはご存じの方も多いかもしれない。
エビータは大統領夫人として積極的に行動して財団を設立して貧民救済・貧富の格差是正事業に取り組み、大衆の喝采を浴びた。
今回アルゼンチンを歩いて“エビータ”が聖女として、歴史上の国民的アイコンとなっていることを知った。大統領府や国会議事堂には彼女の肖像画、銅像などが飾られ、ブエノスアイレス市内にはエビータ博物館があり、100ペソ紙幣には肖像が描かれている。彼女が埋葬されている国立墓地の墓は観光名所となっている。

戦後アルゼンチン政治を左右してきたペロン大統領とエビータの政治的遺産
フアン・ドミンゴ・ペロンは軍人出身のカリスマ的政治家である。第2次世界大戦中に労働福祉庁長官として当時ラテンアメリカでは画期的だった労働法を制定し、労働組合保護育成を進め、労働者大衆から絶大な支持を集めた。副大統領を経て大統領に3回当選。労働者の賃上げ、女性参政権導入、他方で外資排斥、外資企業国営化を進めた。南米における左派ポピュリズムの元祖である。
大衆迎合主義と批判されるバラマキ政治は国家財政を悪化させたが、ペロンが創設した正義党(=ペロン党)は1955年~58年および1976~83年の軍部独裁時代を除き、大戦後からミレイ大統領の出現までほぼ政権与党であった。ミレイ大統領の前任であるフェルナンデス大統領もペロン党である。
アルゼンチンの大衆運動の聖地“5月広場”(プラサ・マヨ)
カサ・ロサーダ(ピンクの家)と呼ばれる大統領府に隣接する5月広場は、近代アルゼンチン政治における大衆運動の聖地である。デモや政治集会では広場が群衆で埋まる。例えると、東京の日比谷公園のような位置づけと言えようか。
当時副大統領だったペロンが1945年にクーデターにより軍部に拘束され、失脚しそうになった。当時ペロンの愛人であった女優のエビータ(後にペロンと結婚して大統領夫人となる)がラジオで大衆にペロン支持を呼びかけて、5月広場に熱狂的大群衆が集まり、その結果ペロンは復権した。そしてペロンは、翌1946年2月の選挙で圧勝して大統領に当選した。貧しい私生児から独力で女優となったエビータは、一躍ファーストレディとなった。このペロンの劇的復権の舞台となったのが5月広場である。