2025年6月17日(火)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年6月8日

勢いと熱気に欠ける5月広場での左派勢力の政治集会

 2月23日(日)。国会議事堂などブエノスアイレス中心部をぶらぶら散歩して午後2時過ぎに5月広場に着いた。広場には様々な政党や労働組合(sindicato)の旗や、主義主張を書いたバナーが並んでいた。『共産党(Partido Comunista)』の党旗にはチェ・ゲバラのベレー帽をかぶったお馴染みの写真があった。

 それぞれの団体が日除けテントの下でブースを作っていたが、いずれのブースも閑散としていた。『ブエノスアイレス市教職員組合』のブースは比較的賑やかで10人近くの中年男女が談笑していた。公立高校の教師の中年女性に聞いたら、ミレイ政権を糾弾する政治集会とのこと。「インフレによる物価高でも勤労者は賃金が抑制され生活が苦しいが、ミレイ大統領は庶民の暮らし向きには無関心。ミレイ大統領がトランプ大統領と同様に、自信満々に自説を語る政治スタイルに吐き気がする」と彼女はミレイをこき下ろした。

 そのうちにラッパや太鼓の音楽にあわせて、5月広場の中心に立つ“5月の塔”の周囲を100人くらいの参加者がバナーに先導されてゆっくりと行進を始めた。バナーには『記憶は燃えている、闘いの炎は消えない』とあった。広場には『記憶、真実、正義(Memoria,Verdad y Justicia)』と書かれたバナーが幾つも掲げられていた。

『ブエノスアイレス州開発局職員組合』のブースで、『記憶、真実、正義』のロゴ入りの黒いTシャツを着た女性にバナーの政治的意図を聞くと「1970年代の軍事政権時代に3万人もの“ペロニスト”(ペロン党員やペロン支持者)の活動家が密かに軍部と警察に拉致され行方不明になっている。事実を調査して正義を執行すべきと訴えている。ミレイ政権は問題を放置しているのでミレイ大統領を糾弾している」という。このブースには彼女1人しかおらず彼女は『記憶、真実、正義』のTシャツを販売すべくぽつねんと店番していた。

 5月公園で他にバナーから読み取れた政治的要求は『ノー・モアIMF(Nunca Mas FMI)』。つまり、国際通貨基金により押し付けられた緊縮財政反対であった。リバタリアン(自由至上主義)のミレイ大統領は経済学者としての信念から緊縮財政を断行しているが、左翼はIMFを通じた米国の圧力にミレイ大統領が屈したという図式にして、アルゼンチン大衆に訴えているようだ。

 いずれにせよ広大な公園にせいぜい200人くらいの左派の活動家が集まり、派手な旗やバナーを掲げているものの、日曜日の午後を楽しむ一般市民は無関心に通り過ぎるだけであった。

5月広場の中心に立つ『5月の塔』は党旗やスローガンが書かれたバナーで囲まれているが集会の参加者の姿はまばらである

有言実行のミレイ大統領への予想外の評価

 2月28日。パタゴニア南端のプエルト・ナタレスのホステルで出会った、ブエノスアイレス在住の水道技師エリオ。彼はアルゼンチン国内だけでなく、インドネシアなど海外数カ国の水道水の水質改善プロジェクトを手掛けてきた知識人の論客。

 エリオによるとアルゼンチンは第2次大戦後に、ペロン大統領が作り上げたポピュリズム政治が定着して、常にペロン主義者(ペロニスト)が政治を牛耳りバラマキ政治を続けてきた。その結果、およそ10年ごとに財政破綻して国際的債務不履行を繰り返してきたと批判。(注)正式にデフォルト宣言したのは1982年、89年、2001年、21年。

 エリオは戦後アルゼンチンの大衆迎合政治を完全否定した。他方で官公庁の半分を廃止して緊縮財政を断行し、就任1年で財政収支を黒字化したミレイ大統領の有言実行を絶賛。アルゼンチンの対外債務の削減と、リスケを主導したIMFもミレイ大統領の手腕を高く評価していると解説した。米国の影響下にあるIMFは、ミレイ大統領と蜜月関係にあるトランプ大統領の意向を汲んでいるは当然であろう。

 ちなみに2023年11月の大統領選挙で、ミレイ候補の得票率は56%で左派連合の対立候補(元ペロン党員、前フェルディナンド政権の経済省)に大勝した。勝因についてはリバタリアン(自由至上主義)で過激な言動により、長年続いた左派ポピュリズム政治からの大転換を訴えるミレイに国民は変革を期待した結果とエリオは解説した。

 大統領就任後は、ショック療法的改革の副作用として、失業率や貧困率が上昇して、支持率はやや下がったものの世論調査によると50%前後で推移している。

経済破綻のため米国に移住したアルゼンチン人も本国へ帰国する動き

 ホステルで“ボランティア”として働いている現在フロリダ在住のアルゼンチン女子のエレナも、エリオの意見に頷いた。ちなみにホステルのボランティアというのはお金がないバックパッカーが、掃除やベッドメイキングなどの雑用をする代わりに、宿泊料金を免除してもらうことを意味する。

 経済的混乱が激化したアルゼンチンから、エレナの家族は数年前にフロリダに移住した。フロリダには同様にアルゼンチンに見切りをつけたアルゼンチン人が大勢住んでおり、コミュニティーを形成しているという。2023年末に就任したミレイ大統領が、短期間にインフレを抑えて経済が安定してきたことから、最近アルゼンチンに帰国する家族が増えてきたとのこと。エレナの両親もアルゼンチンへの帰国を検討していると。

ピンク色の建物が大統領府『カサ・ロサーダ』。その手前に党旗・バナーで囲まれた『5月の塔』が見える。集会参加者が5月の塔の周囲をぐるぐると進行しているが人数が少ないので遠景では何をしているのか判断できない

ミレイ大統領就任直前のアルゼンチン経済の実態

 2022年秋にインドネシアのバリ島のホステルで同宿していた、ブエノスアイレス近郊在住の29歳の農業土木技術者のルイを思い出す。ルイはバリ島のオーストラリア領事館でワーキングホリデー・ビザを申請していた。アルゼンチン国内のオーストラリア領事館は、どこでもワーキングホリデー・ビザを申請する若者が殺到して、申請手続きが何カ月もかかるのでバリ島に来たとのこと。

 当時のフェルナンデス政権下でのハイパーインフレと、通貨の下落により技術者として働いても、年間収入が3000ドルにも満たない。ところが、オーストラリアで働けば農場の収穫作業などの単純労働で年間3万~4万ドルになる。そのため若者がワーキングホリデー・ビザに殺到していると解説した。

 さらに当時アルゼンチンを旅行していた日本人バックパッカーS氏によると、経済だけでなく治安も悪化しており、5月広場でのデモが暴徒化して、5月広場周辺の商店を破壊して陳列していた商品を略奪する騒乱を目撃したという。騒乱はエスカレートして商店や駐車している車が放火されて、5月広場一帯は無法地帯と化したという。翌日同氏が再度5月広場に行くと広場周辺及び大通り沿いの商店は、全てシャッターを下ろして当面休業の張り紙を出していたとのこと。

 アルゼンチンは2年前の最悪の状況を脱して落ち着いてきたようだが、他方でミレイ大統領就任直前には貧困比率が40%であったのが、就任後半年で貧困率が50%を超えた。本稿後半ではさらに庶民目線からのアルゼンチンの政治経済を考えてみたい。

以上

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