牧羊と冷凍船によりパタゴニアが一変
歴史博物館では、プエルト・ナタレスの白人家庭の写真や、家具調度品が陳列されていた。そして、発展興隆する街の変貌が写真で記録されていた。パタゴニアでは19世紀半ば以降、急速に牧羊が広がった。不毛の大地と思われていたパタゴニアに自生するコイロンという草が、羊の大好物であることが発見されて、瞬く間にこの情報が白人植民者に広がった。
羊毛は産業革命により毛織物生産が工業化されると、英国の工場向け需用が急増して重要貿易産品となり、パタゴニアでの牧羊は莫大な富を生む金の卵となった。現在では、パタゴニアの牧羊地の総面積は、カリフォルニア州の3倍、そして800万頭以上の羊が放牧されている。
さらに19世紀後半にパタゴニアのみならず、アルゼンチン経済全体を興隆させたのは、冷凍技術と冷凍船であった。牛肉・羊肉が主として英国へ冷凍肉として輸出されるようになったのだ。プエルト・ナタレス港に隣接する巨大冷凍工場の展示写真を見て、既視感を覚えた。ニュージーランド南島の南端の港町ブラフである。ブラフの歴史博物館にも19世紀後半に埠頭に隣接する巨大冷凍工場から冷凍羊肉が出荷されている写真があったのだ。
パタゴニアにおける白人植民者による囲い込み運動
先住民が疎らに住んでいるだけの荒涼としたパタゴニアの大地の開拓促進のため、アルゼンチン政府は、パタゴニアの土地を白人植民者に無償で与えた。その結果、広大な私有地で牧羊する大農園(hacienda/estancia)が成立して、パタゴニアの大地が大農園主により分割された。大農場主による囲い込み(enclosure)により、先住民たちは生活の糧となる土地、すなわち“生存圏”を奪われたのだ。
白人植民者が興味を示さない険しい山岳地帯や、辺鄙な海岸部に移動せざるを得なかった。長距離バスの車窓から、筆者が眺めた羊の群れと延々と続く有刺鉄線の柵の歴史的背景と先住民の受難が理解できた。
異国の地で亡くなった少女の悲劇、白人との接触で感染症が蔓延
先住民には更なる受難が待っていたようだ。博物館では、ショッキングな写真が展示されていた。19世紀半ばのパリの動物園でのサーカスの見世物として、連れてこられた先住民の姿である。サーカスでは意図的にグロテスクな格好をさせられている。見世物ショーの1人の少女はウイルスに感染して、数日後2歳半で亡くなったと少女の写真付きで紹介されていた。見世物にされた11人の先住民は、次々に感染症で亡くなり帰国できたのは4人だけだった。
19世紀後半に先住民人口が激減したのは、生存圏を奪われたことと白人植民者がもたらした天然痘、チフス、麻疹などの感染症が原因だったのだ。
次回はマプチェ族の“現在の暮らしぶり”と“白人社会・産業資本からの差別と抑圧の闇”についての見聞を紹介したい。
以上 次回に続く
