やるべき仕事の
7割以上が基地問題
「沖縄の置かれている状況は、割り切ろうと思えば割り切れるんです。割り切っちゃえば」
「だけど、こんなもんだと割り切って、しばらくすると本当にそれでいいのか? と、またそういう考えが浮かんでくるんですよ。割り切っても割り切れない不条理な状況に置かれ続けている」
これは玉城デニー沖縄県知事が筆者に語った言葉だ。沖縄県民は、米軍基地の集中という「割り切っても割り切れない不条理」に葛藤してきた。
特に、沖縄の歴史を背負って県民の代表として基地問題などの課題に取り組み、苦闘してきたのが沖縄県知事である。沖縄県知事を8年間つとめた稲嶺惠一が、「沖縄の知事は、やるべき仕事の7割以上が基地問題」と述べたように、沖縄県知事は他の都道府県知事とは異なる難しい仕事を抱えている。
これまで沖縄政治では、日米同盟・米軍基地を容認し、政府と協調しながら経済振興を重視する「保守」と、日米同盟・米軍基地に反対し、平和や人権をより重視する「革新」が対立してきた。
1972年5月15日の沖縄の日本復帰以降、沖縄県知事は約10年おきに革新と保守が入れ替わってきた。その一方で、保守であれ革新であれ、米軍事件・事故への対応や基地の整理縮小など米軍基地問題は沖縄県民全体にかかわる課題であり、沖縄県知事は日米両政府と対峙してきた。
同時に、米軍統治下で高度経済成長の恩恵を受けられず、いまだ県民所得が全国最下位である沖縄経済の振興も重要課題であり、そのためには政府との協調が不可欠である。こうして、沖縄県知事は、保守であっても政府と対立し、革新であっても政府と協力してきた。
例えば、95年9月の3人の米兵による少女暴行事件をきっかけに、沖縄県内では怒りが高まる中、革新から擁立された当時の大田昌秀知事は米軍基地使用をめぐる手続きである代理署名を拒否し、政府と対立した。その一方で、水面下での政府との対話を経て、96年9月に橋本龍太郎首相が沖縄の基地縮小と経済振興についての談話を発表すると、大田は政府と和解する。
