臨終前のおじーが言った。
「実は、お前は……」
「ゴオオオオオオォォォ」
「……なわけさぁ……」
突然近づく戦闘機の轟音に遺言がかき消されてしまう──。コント「嘉手納基地」の一幕だ。
「米軍基地に馴染みがない本土の方には『社会派だね』とか『こんなことを笑いにして大丈夫?』と言われます。でも、米軍基地と隣り合わせの生活を送る僕たちにとっては沖縄のあるあるネタ、〝共感の笑い〟なんです」
そう話すのは「基地を笑え!」がテーマの舞台「お笑い米軍基地」主宰の芸人・小波津正光さん。地元では「まーちゃん」として親しまれている。
「歴代の沖縄の先輩芸人である小那覇舞天さんや照屋林助さんなども戦争や基地問題のことを漫談やコントにしてきました。芸人というのは、その瞬間の時代や生活を笑いに変えていくもの。ただ、戦後80年たってもいまだに僕たちが笑いにできるのは、沖縄の面白くも悲しい歴史だと思うんです。要するに、何も変わっていない」
まーちゃんが「お笑い米軍基地」の着想を得たのは2004年、漫才コンビとしてお笑い活動をするために上京していた時だった。
「東京の街は騒がしいのに、ふと空を見上げると沖縄よりも静か。カルチャーショックでした。沖縄では戦闘機や米軍ヘリが当たり前のように学校や家の上を飛んでいる。なのに、東京の人は沖縄の日常のことを何も知らなかった。そのギャップに初めて気づき、どうすればいいのかと考えた時、『お笑い米軍基地』のアイデアが浮かんできたんです」
そのアイデアを決定的なものにした出来事が04年8月13日、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件だった。
「当時、東京にいた僕は事件を友人からの電話で知り、必死で情報を取ろうとしました。なのに、どのテレビ局でもやっていない。翌日、近所の図書館へいくと、沖縄の新聞の一面には『米軍ヘリ墜落』、かたや全国紙は『平和の祭典、アテネ五輪開幕』。この違いに『同じ日本か?』と驚きました。でもその時『これ、最高の笑いになるかもしれない』と思ったんです。〝ギャップ〟こそ、お笑いのタネですから」
2日後、新宿のライブハウスでは、 ヘリ墜落事件を知らずアテネ五輪で浮かれている東京のお客さんを説教する、というネタに変更した。
「それが凄くウケたんです。半分冗談ですが、半分本気。沖縄のことを知らなくても、その時の感情とか熱量とかで、人は話を聞いてくれるし、心が動かされると気づいた。それをコントにしてステージ上でぶつければ、絶対に面白くなると思いました」