政府と沖縄県
蜜月関係からの転換
大田は基地縮小と経済振興のためには政府との協調が必要だと考え、橋本は沖縄の苦難の歴史に理解を示すとともに、日米同盟の維持・強化のためには沖縄の不満解消が必要だと考えていた。その橋本が実現させたのが、96年4月の普天間基地の返還合意である。
もっとも、普天間基地の返還は県内移設が前提であったため、移設に反対した大田は再び政府と対立、経済振興がストップする中で98年11月の知事選では保守から擁立された経済人・稲嶺惠一に敗れる。
稲嶺は「軍民共用・15年使用」を条件に普天間基地の県内移設を受け入れて、当時の小渕恵三政権から経済振興や2000年のサミット会場決定を引き出し、政府と沖縄県は蜜月関係を築いた。
ところがこの後、橋本や小渕のように沖縄に理解を示す政治家が政治の表舞台から去り、政府の沖縄政策は大きく変化する。小泉純一郎政権は、06年の在日米軍再編計画の中で、沖縄県との「軍民共用・15年使用」という条件を破棄して新たな普天間基地の辺野古移設計画を決定する。
そして基地移設と経済振興を露骨にリンクさせる「アメとムチ」の手法で政府の方針を迫っていった。稲嶺県政は小泉政権の政策に反発し、沖縄県と政府の蜜月関係は終了する。
※こちらの記事の全文は「終わらない戦争 沖縄が問うこの国のかたち戦後80年特別企画・前編」で見ることができます。

