ジャパン・ソリューションへ変わった理由
2009年から、本格参入となった家電分野だが、家電はノウハウの塊。LED電球で一部パーツを変えることで、一分野のトップを掴むことはできたが、自社が持っている技術が偶然ハマったためであり、実力十分というわけではない。
このためアイリスはR&Dを大阪に設立する。大阪は、創業の土地だし、家電メーカーが日本で一番多いエリアでもある。狙ったのは、家電メーカーから海外に流出する人材。わかりやすくいうと中途もしくは定年退職者となる。
新人を狙わなかったのは、即戦力を狙ったこともあるが、1つは雇用創出だ。アイリスのニュースリリースには、新しいことをする度に、何人の雇用が創出されたのかが明記されている。
そして運命の時がくる2011年3月11日。東日本大震災だ。震災に加え、津波、原発事故。東北地方は並外れた傷を負った。人は危機に臨んで初めて本性が表れることが多い。特にアイリスは上場していないこともあり、社長の意向は強く打ち出される。
地元が被災したアイリスが、まずしたのは法人向けLED照明の強化だ。事業に本格参入したのは2010年だが、震災以降力の入れ方が半端でなかった。理由は簡単。節電に役立つからだ。エネルギーが無制限でない今、節電はすこぶる重要なことだ。
そして2013年には精米事業に参入。理由は、被災地支援と農業復興のため。具体的には、米を買い、精米、もしくはパックごはんにするビジネスを始めた。保存、精米、炊飯の全ての環境を15℃以下で行う「低温製法」を実施し、お米の美味しさをキープする。
加えてここで精米されたお米は、標準である2kg、5kgだけでなく、2合、3合という小分け袋もラインナップした。少しでもお米を買い易くする努力である。令和の米騒動でも近くのコンビニにコシヒカリの1.5kg袋があった。裏面を見ると「アイリスフーズ」だった。
会社の災害エリアに対する義援金・寄付金は時々聞く。だが、地元を救うために、新規事業を起こすのはあまり例がない。しかも、米などはアイリスが扱ったことのない分野。
この状況に合わせ自分たちがしたことのない新分野ビジネスでもをどんどん立ち上げていく。これがアイリスの強みだ。
自治体との契約
東京のように、人口が減らないところはともかく、地方人口はどんどん減っている。そんな中、防災対策は、かなりの負荷だ。特に、その人数を3日養える分の備蓄などは、どこに置いておけば安全なのか、そして予算はどうする、となる。
米の備蓄は最後は家畜の餌にするのだが、備蓄品は数年で廃棄処分にしなければならないものもある。
そこで日本の各地に、工場、倉庫・流通センターを持つアイリスは、自治体相手のビジネス契約を提案している。それは災害発生後1日で必要なものを揃えますというものだ。
ホームセンターという、今の日本になくてはならない業態に、メーカーベンダーとして頑張ってきたアイリスならではの強みだ。
ちなみに、アイリスはホームセンター、ユニディ、ダイシンもグループ会社として持つ。
ホームセンターは、巨大な倉庫という側面もある。米、インスタント食品、水、医療品を扱うようになれば、生活できる。ロメロ監督の「ゾンビ」では、生存者がショッピングセンターに立て籠もるが、それに似る。
契約名は「災害時における生活物資の供給協力に関する協定」もしくはそれに類する。シン・ゴジラで役所の付けた最終作戦名「巨大不明生物の活動凍結を目的とする血液凝固剤経口投与を主軸とした作戦要綱」に似ていて笑えるのもいい。
実際できるのかと言う話はあるが、契約のない能登半島地震の時、日本青年会議所災害本部へと共に、1月3日には物資を届けている。能登半島地震発生は、1月1日の夕方であり、迅速な対応だ。現在、契約は27件。うち、包括契約は8件に及ぶ。
